膝に幼子を抱えて、話すのはこれで何度目だったか。
 既に覚えていない。
 董奉は役職だ。
 次が決まり、"次"が見合うだけの能力を身につければ、"次"が董奉になる。
 思徒は其の全てを覚えていない。
 必要ないという、一点のみで切り捨てた。
 今回、可愛がろうとしたのは久しぶりかもしれない。
 そうではないかもしれない。
 強制的に眠らされたせいか、意識は半濁のまま現を彷徨っている。
 けれど、膝の重みがまだ何かをわからせるようだった。
「小董(シャオトウ)、お前はひとを愛せ」
 ぎぃぎぃ。
 軋むように、悲鳴のように。
 もしくは慟哭のように、きぃきぃ、ぎぃぎぃ、椅子が音を立てる。
 声をあげるけれど、誰にも通じないのでは無意味だろう。
 ふと、思徒は口の端に笑みを上らせたが自分で自分を無視した。
「お前はヒトを愛せ。妻を娶り、子どもを作り、その子を愛せ」
 嗚呼、お前だけは。
 どうかお前だけは、徐福などという化け物に捕らわれることなく。
 己という、化け物に囚われることなく。
 ヒトとして、生きろ。
 誰かを愛して、誰かと子を成して、歳をとって。
 そうして、死ぬと良い。
 まどろむような口調で、思徒は子どもに語りかける。
 理解はされぬだろう。
 思徒と面が通されている。其の時点で、思徒の願いは叶わない。
 化け物の調教役として、徐福と、そして思徒自身に捕らわれることになるのだ。
 本意であろうと、なかろうと。
 "そう生まれ付いてしまった"ことを、恨むしかない。
 もっとも、そんな恨み言を聞かされたことは終ぞなかったが。
「お前は、人として生きろ」
 化け物が願う、当たり前すぎる、願い。
 既に踏み躙られているというのに、願わずにはいられぬ言の葉。
 ゆっくり、黒い髪を撫ぜる。
 作り物じみた細い白い指が、ゆっくり。
 人として、誰かを愛して。
 己が叶わぬ願いを、託す。
 嗚呼、それはなんて人間的な―――。



***
 董奉が愛妻家で子煩悩な根源に思徒がいたらという妄想。


涙結いて




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