横になる男の腹と胸の間にぴったりと顔を横につけて、スクアーロは音を聞いていた。
 熱を感じていた。
 布越しではあったし、布団の厚さもあったけれど、確かにスクアーロには感じ取れた。
 浅い眠りにすらなっていない男は、時折身体を弾ませて跳ね起きる。
 とはいえ、腹筋もかなり痛んでいるせいで盛大に起き上がることは出来ないのだが。
「お゛ぉう゛。大丈夫かぁ、ボスさんよぉ」
 聞いてやれば、五月蝿いと一声。
 しかしそんなことさえ嬉しいのか、スクアーロは小さく笑った。
 横になれば、また同じような姿勢をとる。
 重くないのは、偏に彼が体重をかけていないせいだろう。
 頭は結構な重さがある。重傷患者に、まして主君には負担をかけるまいというのは目にみえてわかっていた。
 ギシギシと腕を動かして、白い髪へ指を伸ばす。
 穏やかな声で「ん?」と問いかけてきたが、答えてやることはなくそのまま髪を指先に絡めて弄んだ。
 銀色が、くすくす小さな声をあげる。
「う゛ぉお゛い、くすぐってぇ」
 普段の大声にしては、潜められた声音。
 気にすることはなく、指先で感触を楽しんだ。時折、綺麗な頭蓋へ手を這わせ長い髪を撫でる。
 細められた瞳が、雄弁に彼の気持ちを語っていた。
 だからかもしれない。
「眠りたく……、ねぇなぁ………」
 弱音というには感情が乏しく、愚痴というには怨みはなく、恐怖というには静か過ぎる。
 呟きは、男の口から本当に小さく漏れた。
「次、目ェ覚ましたら十年後とかだったら、笑えん……」
「それでも俺は、待ってるぜぇ……?」
「その髪伸ばしてか」
「当たり前だぁ。これは、お前にやったモンだからなぁ」
「ハッ、誰が恵んでくれなんて言った。……カスが」
 言えども、手は髪から離さない。
 眠りたくないと、男はもう一度呟いた。身体はいくらだって休息を必要としていたけれど、精神が拒否している。
「ジジイが、俺を邪魔になって寝込み襲ってきたら反撃無理だな」
「そん時ぁ俺がみぃんな追っ払ってやるぞぉ、安心しとけぇ」
「なにが安心しとけ、だ。負けたくせに」
「それは……!」
 痛いところを突かれ、スクアーロの語が詰まる。
 しかし詰ることはなく、ベッドの上で身動ぎをするに留まった。
 あたかも眠ることを嫌がる幼児であったが、ことはそんな単純でないことはわかっている。
 八年は、それだけ重かった。
 殺されることが最も重い罰ではないことを、あの一件で知った。生かされる地獄というものもまた、存在するのだ。
 ザンザスの存在を盾に使われ続けたスクアーロ達ヴァリアーと、光や音を身体に取り入れることさえ許されなかったザンザス。
 どちらがどれだけ惨いことなのかは、本人たちでさえわからない。
「眠りたくねぇ……」
「んじゃあ、俺が外の奴ら追い払って、んで戻ってきて、ここでアンタを守る。それなら、眠れっかぁ?」
「ハッ、カスが。出来もしねぇこと言うんじゃねぇよ」
「やってやっから、お前はもう寝ろぉ」
「俺に命令すんじゃねぇ、ドカス」
 言うも、男の言葉に安心したように重く瞼が下げられる。
 眉間へ皺が刻まれたままだが、少なくともこれでしばらくは落ち着いて眠れるだろう。
 ザンザスは、夜に眠ることを嫌がっていた。
 それは、何も見えず聞こえずわからない暗闇に長くいたせいかもしれない。
 とにかく眠りの浅い男が、争奪戦以後なにかを振り払うようにベッドの上で荒い息をついていたことをスクアーロは知っていた。
「おやすみだぁ、ザンザス」
 せめて自分がそばにいる時くらい、安らいでくれと。
 祈りを以って、傷だらけの口の端へ口付ける。
 約束した通り見張りを扉の前から退けなくては、次にボスが目を覚ました時に怒られる。
 寝起きでただでさえ機嫌が悪く容赦を知らない男を相手にするのは流石に御免だと、銀色は立ち上がった。
 途端、くん。と甘く引かれる。
 なにかと思ってよく見れば、眠る男が指先に銀糸を絡めたまま動かないではないか。
「う゛ぉお゛い、そりゃねぇぞぉ。アイツら追い払うって言っちまっただろうがぁ」
 まさか引きずるわけにもいくまい。
 そっと指先を剥がそうとするも、上手くいかなかった。どうやら、随分ガッチリ掴んでくれているようで引っ張られ方によってはそれなりに痛い。
 しばし考えたが、簡単に片付く案は浮かばなかった。
「仕方ねぇかぁ」
 殴られるのはいつものことだと腹をくくり、義手のギミックのひとつであるナイフを男が掴んでいるところより少し上に当てた。
 ぶ、ざりりりり、ぶ、ぶつ。
 すぐに、ぱらぱらと細かい髪が落ちる。
 一房よりも少し多い量が、ザンザスの手に握られていた。
「アンタに誓ったのになぁ。俺ァ守れないことばっかりだ。誓いを反故にしようと思って、誓うわけじゃねぇってのに」
 14でテュールを倒し、この男の剣になることを誓ったのに。
 守れないことばかりだ。
 故に、せめて眠りだけでも守ろうと、スクアーロは椅子から立ち上がった。
「愛してるぜぇ、ザンザス。髪、起きたら揃えてくれな」
 それともアンタは、ショートのほうが好みだったか?
 ちゅ。ちゅ、と音を立てて愛しげに傷だらけの男の額や鼻の頭、唇にキスを落とすと、不揃いの銀色を波立たせて部屋を出た。
 スクアーロという一個人から切り離されて、ゴミにも等しくなった髪は、けれどザンザスの手のなかできらきらと輝いていた。



***
 鮫はボスの剣なので、ボスの弱みを他人になんか言わないのでした。


エレベーター:楽園遺棄




ブラウザバックでお戻り下さい。