対を成す理想と現実




 ふと。気がついた。
 あれ? 政務は? 執政官は? 執政補佐官は?
 あれ?
 何故、この場には誰もいないのだろう。
 何故、この場には護衛官のスザクしかいないのだろう。
 何故、それをユーフェミアも普通のこととして捉えているのだろう。
 スザクは自身の父が政治家、それも、首相という立場であったからよく知っている。
 人間の出入りは激しいし、書類も家に持ち帰れぬほど山と積まれていることが多い。
 会合を家で行うことも多く、そのためお手伝いさんがよく入ってはいけない、と、母屋とは別の場所でスザクを遊ばせようとしていた。
 けれどこの部屋は。
 程よく片付けられているのは、勿論メイドのおかげだろうが緊急を要する書類は一つとしてなく。
 適度に抑えられた書類の数々、決して慌しく入室してくることのない人間ばかり。
 これが、果たして政務と呼べるのか?
 気付いたのは、遅かったのか、早かったのか。
 ユーフェミアの執務室には、花が多い。
 それは、届けられることが多いからだが、それ以上に彼女が望むためでもある。
 お花のある空間は、素敵でしょう?
 この時代、庭園を維持することが、生の花を栽培することが、どれほど膨大な手間と金銭になるのか考えもつかぬ微笑。
 けれど、スザクは微笑み返した。
 思えばそれが、間違いの気付き始めだったのかもしれない。
 ユーフェミアの執務の大半は、書類の確認だ。
 戦場という穢い場所に、彼女を連れ出すことを厭った姉の御蔭か彼女には戦略や戦術といった方面の能力は欠片も無い。
 否、あるのかもしれないが、現実芽は出ていないように思われたし、このままでは日の目を見ることないまま終わるのだろう。
「ダールトンさん」
 コーネリアの騎士、平時はユーフェミアの護衛とシュナイゼルの補佐を任じられ、忙しくしている彼と廊下で出会う。
 忙しそうにしていたが、かけられた声を無碍には出来なかったのだろう。
 足を止め、どうした、と問い掛けた。
 彼は武人として、出生や主の気に入りはどうであれスザクという人間を認めてはいる。
 何故なら、彼の主、コーネリアの窮地を救った経験もあるし、現在ゼロを幾度となく跳ね除けているのは彼だからだ。
「あの、ユーフェミア皇女殿下の執務についてお尋ねしたいのですが」
「……」
「お忙しいところ、申し訳ありません。ですが」
 語を連ねようとしたところで、嘆息が漏れた。
 勢いよく下げていた頭を、上げろ、と短い言葉がかかる。
 スザクとダールトンは、対等ではない。
 いくら言葉を繕ったところで、ユーフェミアはお飾りだ。
 お飾りの騎士もまたお飾りでしかないという認識が世に伝わり、実際ユーフェミアの騎士として武勲は未だあげられていない。
 既に騎士として、軍人として、いくつもの戦果をあげているダールトンとスザクは、対等たりえない。
 それでも顔を上げろ、こちらを向け、というのは、彼の武人としての性格がそう言わせたのだろう。
 コーネリアが見れば、眉を吊り上げそうな状況だ。
「私はこの書類を持ち、シュナイゼル殿下のもとへ行かねばならない。先のキュウシュウでの後始末もある」
「はい」
「あと二時間ほどで、多少の休憩を入れることも叶うだろう。それまで待てるか」
「……はい!」
「では、その時に」
 言って、ダールトンは先よりも少し早めに歩を進めて回廊を渡っていった。
 軍服の前を、ぐ、っとスザクは握りしめる。
 ここ数日、ひたひたとやってきていた違和感、不信感。そんなものを、握りつぶすように。


 結局、男がスザクの元へ来れたのは二時間どころか六時間近く経ってからのことだった。
 それも仕方ない話だ。
 大抵の対外交渉や戦術立案にはギルフォードが立つとはいえ、ダールトンもまた優秀な軍人。
 彼には多くの仕事があり、約束したとはいえ護りきるには重要度が低すぎる。
 遅くなったと苦笑しながらの男に、いいえ、と首を横にし、スザクはソファを立った。
 階級的にも、男のほうが幾つも上である。
 騎士であり軍人であるのは、双方同じこと。ならば、下士官のスザクが座ったままなどという不敬は赦されない。
「それで、聞きたいことがあると言っていたな」
 半ば予想してのことだろうが、目を細められる。
 発言の許可を与えられ、スザクは口を開いた。
「何故、ユーフェミア様には仕事を任せられないのですか」
 遠まわしの言葉に、思わずの様子でダールトンが失笑する。
 けれど、其れに対してスザクは反応しなかった。
 やはりかという言葉だけが、空々しく空しい。
「あの方に執務を任せられるかね? 柩木スザク」
「彼女は、誠意ある気持ちで政務に参画することを望んでいます」
「誠意ある、とは、どのような?」
「このエリア11で笑顔が見られる、場所にしたいと」
「それが?」
「え………」
「それのどこに、ブリタニア皇族としての誠意があるのかね? 柩木スザク少佐」
 嘆息。
 目の前に居る男は、歴戦の武人だった。
 血に塗れて、それでも前を見据え、主の矢面に立ち、主の傍らで剣を振るう、男だ。
「ナンバーズとブリタニア人を区別する。これが、ブリタニアの国是だ」
「………存じています」
「エリア11を、我々ブリタニア人のために良いエリアにする、というならば話はわかる。だが、それはナンバーズのためでもあるというのなら」
 それは果たして、神聖ブリタニア帝国に対して、誠意ある態度といえるのかね?
 続く言葉に、スザクはぎゅっと唇をかんだ。
 肘を突き、わざとらしく身体を崩し斜に構えたようにして此方を見るのは、それが尊大な様子だとわかっているからだ。
 格差は、こんなところにも薄っすらと、けれど確かに存在する。
「よろしい、話を変えよう。何故、ユーフェミア副総督に総督が仕事を任せないか、だが」
 ひらと手を振り一度話題を切ると、新たに持ち直した。
 簡単だという言葉が、重苦しく耳に届く。
「彼女にそこまでの能力が無いからだ。これは、総督閣下の願いでもある」
 ユーフェミアには、実務能力が無い。
 している仕事は、日の大半が書類の確認だ。
 既にダールトンが目を通し、訂正させ、完成した書類に、ユーフェミアがサインもしくは判を押すのみ。
 内容もたいしたものはない。
 ほとんどが、直接政務には関係のないことだ。
 それは、美術館の建設であったり、クロヴィスが没したことを記念に作られた芸術週間の活動日程であったり、するだけで。
 記者会見さえ、姉の騎士や周囲のフォローがなければまともにこなせないお飾り副総督。
 そんな人間に、政務を任せる者はいない。
 妹を溺愛している彼女であるからこそ、ユーフェミアの実務能力の低さはわかっている。
 そうしたのが、彼女自身でもあるからだ。
「でも、なにもさせてもらえなければ、何の成長も出来ません!」
「……君は、子供だな。嗚呼、実際に子供なのだから、この発言は正しいのだが」
「………」
「教師を与えられなければ、なにもしないのか? 本を与えられなければ、見ないかね? 皇族ならば、自己鍛錬と研鑽を怠っても良い、と?」
 言葉に、それは違う。というものは、出てこなかった。
 わからなければ、調べる。
 簡単なことだ。小学生だって、知っている。
 ルルーシュは、出会った頃から聡明さを備えていた。
 ユーフェミアよりも、地位が低かったにも関わらず。
 それは、彼が自分で勉強したからではないか。
 日本とブリタニアの関係を、現状を、情勢を。
 第十一皇子であり、皇位継承権が十七位であろうとも、それは叶うということを示しているのではないか。
 では、第三皇女であり、明らかにルルーシュよりも皇位継承権が高いはずのユーフェミアに備わっていないのは。
 どういう、理由。
 それに、スザクとて軍人だ。いくらデスクワークの多い彼女の護衛任務が多かろうと、だからこそ鍛錬には余念がない。
 そうでなければ、簡単に錆び付いてしまう。
「ここからは、騎士としての私の言葉だ。座れ、柩木スザク」
 ソファを促され、ぎくしゃくと足を動かして腰を落ち着けた。
 柔らかいはずのソファが、固く感じるのは気のせいか。
「姫様は、ユーフェミア副総督に出来るだけ優しい世界を望んでおられる」
「………はい」
 それは彼とて知っている。
 コーネリアは、ユーフェミアを溺愛している。
 陰惨な皇族に生まれついたからこそ、蹴落としあう関係ではない妹が愛しいのだろうと理解出来た。
 似た姿を、スザク自身七年前から知っていた。
「政治など、他人の罵りあい、貶めあい、蹴落としあいだ。それを、姫様は武勲を立てることで押さえ込んできた」
 文人のクロヴィス、武官のコーネリア。
 その二つの名前は、有名だった。
 知名度が、イコール地位となるわけではない。けれど、それだけの能力なのだと他に知らしめるのもまた、重要な要素だ。
「副総督には、あの穢い世界はお見せしたくないのだろう。また、見せずとも問題なく、ここまできてしまった」
 言外に、今更だという言葉が滲んでいる。
 今更、遅いと。
 努力の姿を、もっとはやく、見せていれば。
 姉に甘やかされるだけではなく、自分の足で立って、自分の眼で現実を見据えて、自分で、なにをどうするべきなのか、模索していれば。
 ここまで彼女も、過保護にはならなかっただろうと、ダールトンは重々しく吐き出す。
「今、ユーフェミア皇女に動かれても、他の執政官たちは見向きもしないだろう。彼女は、姫様の妹としか、見られていない」
 実務能力の成果はなく、武人としての武勲もなく、それでもユーフェミアがエリア11の副総督でいられるのは、コーネリアが呼んだからに他ならない。
 ユーフェミアに膝をついているように見えても、実際そのほとんどは、其の奥のコーネリアに敬意を表していることだろう。
「そんな………」
 では、なにが出来るというのだ。
 なにも、それでは。
「これが、君の入った世界だ。柩木スザク、第三皇女筆頭騎士」
 悪鬼渦巻く、政治の世界。
 伸し上がるには、彼の主は余りにも無力だった。
 知らぬ世界、ただ、夢を見ては未来に眼を輝かせていただろう少年を前に、ダールトンは重く息を吐いた。
 それでも慰めの言葉など、かけなかったけれども。



***
 ダールトンさんが書きたかったのですが、口調がわかりません! 地味に喋ってないんですもの!
 平素の彼の口調はどんななのでしょうかー(さめざめ)

 政治の世界なんて、成果あげてなんぼです。
 既に「ユーフェミアに政治のことなんて聞いたって仕方ない」という風潮が民間にも流れている以上、こっから伸し上がるのは果てしなく難しい気がします。








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