視線が、なにかを求めていたのを知って。ゼロは、彼女の傍に立った。 躊躇いながら、それでも「屈んでいただけますか」柔らかい声で言われれば否やはない。 車椅子の傍に膝をつけば、青年から男になりつつあるゼロの仮面へ少女――未だ少女の柔らかさを残すナナリーの手が触れた。 ぺたりと。 静かに、添わされて、沈黙が落ちる。 ゼロはなにも語らなかった。 ナナリーも。 しばらくそうしていたが、やがてゆっくりと仮面から手は離れ、少女の胸に抱かれる。 『満足いただけたかな』 皮肉とも慈愛とも取れる声音に、ゆっくり、緩慢な動作で彼女は頷いた。 ありがとう、ございます。 ぽつりと落とされる言葉は、覇気も精気も薄い。 「……あの方の手に、最後に触れたのはわたくしであるけれど」 血の気が失せた唇に、光の鈍い瞳。 傷は永遠に傷として残り、カサブタになることも出来ずじくじくと血を流し続けている。 妄執と愛だけが、ナナリーを世界に繋いでいた。 「あの方が、ご自身から最期に触れたのは貴方なのですよね――ゼロ」 ゼロが、誰であるかをわかっていて。 彼女もまた、ゼロをそのように扱った。 それが、自分と、彼に下される罰だとわかっているように。 魔王と魔女が、物言わず世界から引いた共犯者なら。 彼女と彼は、物言わず世界に君臨し続ける共犯者となった。 ルルーシュの性格で、現状を望むはずもないことなどとうに理解している二人である。 けれども、罰が欲しかった。 忘れようとも忘れられないくせに、日々に埋没すれば不意に忘れかける。 単純にして、明快な、恐怖だった。 「うらやましい、こと」 カタリ、小首を傾けて笑う少女は、ともすれば儚く消えてしまいそうだ。 人の目に触れる際の、あの、凛とした佇まいもなにもなく。 弾けて消える泡より呆気なく、消えてしまいそうだ。 「あの方の面影を、追っているのだと気づいては、絶望しそうです」 対外的に、彼女が兄を想うことは許されない。 唯一の肉親であった妹さえ、見世物のように扱い、結果死後も彼女に非難され続ける悪逆皇帝。 それが、ルルーシュが用意した己の末路。 ナナリーには、その結論を覆すだけの決意も情熱もなかった。 兄の望みを叶え続けるだけで、そんな世界を維持し生きるだけで、精一杯だ。 『先日、ミレイ・アッシュフォードを政庁に招かれたと伺いました』 「えぇ。彼女でしたら、ニュースキャスターとしても市井の眼をお持ちですし、第三者としての識者の見解をお持ちです。家柄的にもわたくしと関わりがありますからおかしなことではないでしょう」 緩く首を縦にした少女に、返ってきたのは否定だった。 嘆息すら無い。 やんわりと、突き放されるようで困惑の表情を僅かに浮かべる彼女にゼロは諭すような口ぶりで言った。 『アッシュフォード家は、確かにヴィ・ブリタニアの後ろ盾。けれど、彼らは貴族階級より失墜したその時から貴女との接点はない。およそ十年に近い歳月の断絶の割りに、親交厚いのは如何かと』 「あぁ……、そう、そうですわね。気をつけ……ないと」 ナナリー・ランペルージならば確かに、ミレイ・アッシュフォードと親しくしてもおかしくはないけれど。 そんな少女、もうどこにもいない。 ナナリー・ヴィ・ブリタニアという存在を、世間に広めてから。ただのナナリーは、どこにもいなくなってしまった。 社交界にすら出なかった十年間、表向きには戦争に巻き込まれたトラウマを離宮で癒していたということになっている。 アッシュフォードとの関わりは、無いに等しいはず。 「ミレイさん……いいえ、ミレイ・アッシュフォードと、お話は避けたほうがよろしいでしょうか?」 『識者として招かれる分には、構いますまい』 「わかりました。胸に、とどめておきますわ」 ひっそりと頷いて、萎れる花のように少女は微笑む。 男の言葉は、言外に、ただのミレイとして接することは避けるようにと求めるものだった。 そうしてまたひとつひとつ、潰され詰まれていく。 大切な兄を共有する、行為すら。 「ゼロ。ひとつだけ、ひとつだけ、お聞かせください」 少女は笑う、萎れた花のように。 造花になりえない花は、哀れだろうか、惨めだろうか。 造花になれない花は、それでも咲こうとする花は。 永久凍土の氷に埋もれて、育ててくれた水の温かささえ零れ落ちて、それでも咲き続けようと足掻くことは。 *** 嗚呼、あなたはあのひとを愛していましたか憎んでいました恨んでいましたか妬んでいましたか感謝していましたか尊敬していましたか崇めていましたが嘲っていましたか哀れんでいましたか 侮っていましたか呆れていましたか慈しんでいましたか疎んじていましたか選べはしませんでしたか軽んじていましたか恐怖していましたか屈していましたか嫌悪していましたか蔑んでいましたか 好きでしたかなにを想っていましたか。 |