全身から、ビリビリと。 ジリジリとパチパチとチリチリとギリギリとバチバチとギシギシと。 目の下に隈を作って、唇を真一文字に引いたルルーシュが素人の殴り方で壁を殴りつけた。 見た目に痛いそれに思わずC.C.とスザクが、同時に顔を顰める。 けれど顔を少しも変えることなく、ルルーシュはギシリと奥歯を鳴らした。 怒気が背中で逆巻いて、陽炎さえ立ち上るかのようだ。 ―――今度はなにをした。枢木スザク。 ―――なんでも僕のせいだと、思わないでよ。C.C.こそルルーシュになにをしたんだい。 ―――馬鹿な。この私がコイツの地雷を踏むわけないだろう。十中八九、お前がなにかをしたに決まっている。 ―――だから知らないってば。 ―――無意識にしていたというのか、タチの悪い。 視線で交し合う罵り合いは、テーブルの下で蹴り合いという物理攻撃にまで発展していった。 苛立ちの空気というのは感染する。 あてられたのか、不機嫌な顔が三つ並び出せば徐にルルーシュは口を開いた。 「何故だ」 「……どうした? ルルーシュ」 お前がそこまで不機嫌を露にするなど、珍しいこともあるものだ。 憂う表情を浮かべながら、先に動いたのは灰色の魔女。 慌てて同じく席を立とうとするスザクに、母猫は金色の瞳で牽制した。 渋々浮いた腰を下ろしきる前に、C.C.は憔悴の色を浮かべるルルーシュの頬に触れる。 「数少ない取り柄の美貌が、台無しだぞ」 皮肉まじりの慈愛の言葉に、けれど反応は薄くゆるゆる被りを振るうのみ。 さて、これは相当になにか溜まりきったものがあるらしいと肩口でスザクを睨みつければ冤罪だと全身を使って表現された。 信用度が限りなく底辺を泳ぐ男のことなど欠片も信じず、椅子を引いて座らせてやる。 「なにか不測の事態でも起きたか」 「不測……、あぁ、そうだな。不測の事態が発生した」 「ほぉ?」 不測の事態と認めるからには、本国へ渡る算段に齟齬が生じたとか。そういうことではないのだろう。 魔王は人一倍プライドが高い。 手に余る事態と認める前に、あらゆる策を講じるはずだ。 それで無理ならば、自分や枢木スザクにも助力や人手を乞うだろうけれど。 まだ、彼が全ての手をやり尽くすには時間の猶予はあるはずだ。 ではなにが、起きたというのか。 問う視線を注いでいれば、温くなった紅茶を飲み干して 「スザク」 覚悟を決めた瞳で、射抜くのは紫水晶というには赤みの混じる玉。 質感すら感じそうなそれを、喉を鳴らして受ける。喉仏が、ごくりと動いた。 緊張の糸が、ピンと室内に張り詰める。 魔女ですら戯言も茶々も許されぬ、重苦しい空気。 「俺は、お前が嫌いだ。お前のあらゆるところが嫌いだ。お前を恋しく思ったことなんて無い。子供の頃やならいざしらず、ここ一年ならなお更だ。お前を愛しいと思ったことなんてない。お前のせいでC.C.とカレンを筆頭に黒の騎士団がどれだけ苦労して悲鳴をあげたか。 それを思えば尚更苛立たしい。俺も幼少期からこっち色んな感情や波風や世情にさらされてきたが、それでもお前を愛したことなんてない。一ミクロンたりともだ。あぁ、日本風にいうなら恒河沙分の一とでも言い直したほうがわかりやすいか?」 瞬きもせず、呼吸を整えることもなく。 言葉の合間で細く呼気を紡いでは、目を背けることもなくルルーシュは言い切り。 あまりの長広舌に、一瞬眩暈を感じ次の瞬間なにを言われたのか理解したスザクが反論するより前に、再度彼は口を開いた。 「お前のことさえ考えなければ、俺はもっと簡単な存在でいられたのに」 一瞬でも。 それは、真理だと。 C.C.どころか、スザクですら、思ってしまった。 誰かのために動かなければ、ルルーシュはもっと楽でいられたはずだ。 ナナリーのことを切り捨ててしまえば、スザクを助けようなど味方へ引き込もうなど、思わなければ。 もっと、簡単でいられたのに。思うと同時に、けれどそれが出来ないからこそルルーシュだとも、思う。 だからこそ、スザクは何度となく生き延びてC.C.は笑って死ぬ日を夢見る道を選べた。 「お前が嫌いだ。俺は、お前の全てが嫌いだ。あらゆることが嫌いだ、徹頭徹尾一から十頭の先から爪の先まで大嫌いだ。―――なのに」 なのに。 「なのにどうして、俺はお前を愛しているんだろう」 ぼろりと、紫色の瞳から透明なものが流れ落ちる。片方からだけ、流れ落ちる。 ルルーシュの身体から離れたら、真珠にでもなってしまうのではないか。 そんな夢を見てしまうほど、美しいそれの名前は涙といった。 「本当にお前が嫌いなんだ、憎んでいるんだ。憎まれているのはわかっている、お前だって俺が嫌いだろう。ユフィの仇である俺という存在、嗚呼、だからどうしたというんだ! その真実を背負ったところで、俺はお前を憎んでいる嫌っている疎んでいるお前が俺を嫌うように!!」 なのに。 それ、なのに。 「どうして俺はお前を愛しているんだろう。お前という存在を愛しているんだろう。お前のことなんて、考えなければいいのに。お前のことを考え続けている。お前のことを憎んでいるだけなら、それで俺はどんなに救われたんだろうな!! それでも俺は、お前を愛している!!」 叫びだった、悲鳴だった。 泣き叫ぶことはなかった、絶望の産声ではなかった。 決意ですらなく、激しい感情の吐露だった。 「お前だって俺が嫌いだろう憎いだろう?! ユーフェミアを殺したのは俺だ! 彼女に虐殺皇女なんて汚名を押し付けたのは俺だ! 日本を混乱させ、矯正エリアにまで叩き落した、そのせいで無辜の人が血を流し無為に殺された、その原因たるゼロは俺だ!! お前だって俺が憎いはずなのに―――なんで」 そんな、わかっていると言いたげに俺を見ることが出来るんだ。 両の手で頭を抱え、目を硬く瞑る。 彼の瞳からは、もう涙は流れていなかった。 「わからないよ」 「………」 「……君だって僕が嫌いだろう、君を売ったのは僕だ、君のトラウマを抉ったのは僕だ、君の大事なナナリーを利用してあまつ手にかけたのは俺なんだよルルーシュ!! ッお前だって俺を恨んでいるだろう憎んでいるだろう嫌うなんて言葉じゃ生易しい生温い、そんな言葉で済まされることを、俺だってお前にしていない!!」 なのになんで、お前は俺のことを愛してくれるなんて言うんだよ。 泣きそうな顔で、泣けない顔で、顔をくしゃりと歪めてスザクが言った。 泣きそうなのに、あと一押しで泣くところまできているはずなのに。 翡翠の瞳から、涙がこぼれ落ちることはない。 「俺はお前が嫌いだ」 「僕だって君が嫌いだよ」 なのにどうして、愛しているんだろう。 笑うなんて到底言えない顔で、二人は笑った。 あいしあってるからだろうさ。魔女は唇だけで放り捨てるように笑ったが、当然誰の耳に届くはずもなかった。 *** 理想の恒河沙分の一もいかない・・・orz |