枢木スザクは―――否、ゼロには、知らないことが沢山あった。 目の前にうず高く積まれた書類の細かな事情も、大混乱が沈静化しつつある世界の行き先も。 殺した相手の魂の所在も、殺した相手の遺体の処遇も。 ゼロは、なにも知らなかった。 ジェレミアが連れて行ったかもしれない。―――ルルーシュが殺され、撤退を叫んでいた彼に余裕があったか? ナナリーがすがりついて泣いていた。果たして彼が、最愛の兄の死に慟哭する少女を引き剥がして連れ逃げるような真似をするだろうか。 咲世子が連れて行ったかもしれない。―――彼女は牢屋にいたし、見張りだっていたけれど。逃げようと思えば、なんということはないだろう。けれどそれにしたって、やはりナナリーの問題がある。 ジェレミアよりも、連れ添っていた期間は彼女のほうが長いだろう。ならばなおのこと、彼女を引き剥がし連れ去るような真似をするだろうか。 C.C.が連れて行ったかもしれない。―――他のだれよりも、それはありえる想像だった。ナナリーに心を痛めても、それでも彼女は共犯者とその妹。天秤にかければ、彼の魔王を選ぶだろう。 息をするように、とても自然に。 それとも覚えていないだけで、自らの手で埋めたのかもしれない。 目の前は白く、黒く、真っ暗で、ただひたすらに使命感を抱えて生きていた。 少なくとも、ルルーシュを殺してから五キロ体重は落ちた。食事をした覚えもなくはないが、それでも全てが曖昧な期間が多くあった。 はっきりしているのは、世界にかかわる会議で何を話し、何を示し、何を支持し、なにを指示したのかくらいだ。 ゼロは―――否、枢木スザクは、知らないことが沢山あった。 ことによっては、なにも知らない。知らないことすら知らないことが、溢れていた。 世界を恐怖と混沌に叩き込もうとした、悪逆皇帝。 胸を貫かれ、絶命した姿を直接。もしくは映像越しに、沢山のひとが見知った。 けれど、その後のことは直後の混乱のせいだろう。 誰も知らなかった。 故に、噂が流れだしたのだ。 『悪逆皇帝ルルーシュは、生きている。生きて、ゼロへ復讐をしようと機を伺っている』 何も知らないだれかが流した、根も葉もない噂だろう。 ゼロ・レクイエムは、双方の同意のもとに為されたこと。そこに憎悪の感情はなく、悔恨と無念と情愛があっても怨念など無い。 あまりにも当たり前に心の中に落ち着きすぎていた、感情。 一瞬たりと、殺したその瞬間であろうと、恨まれても憎まれてもいない確信がスザクにはあった。 でなければ死の間際、転がり落ちる直前にあんな言葉は交わさない。 わかっていたから、ゼロは湧き上がる噂を一蹴してみせた。 「悪逆皇帝が生き返ってくるならば、何度でも私が彼を葬ろう」 正義は己にあるのだと。 正しいのは、自分たちだからと。 仮面で言葉にならぬ感情を浮かべる表情を押し殺しながら、声音だけは堂々と告げる。 そうする度に安心をさせる超合集国連合の前で、全てを曝け出してやれればどれだけ心地が良いだろうか。 しかし、出来ないことなど百も承知だった。 胸にある蟠りは、<枢木スザク>としての感情。 ゼロとして生きる彼には、なにもう許されていないのだ。 「……ゼロ」 小さく挙手をしながら、扇が口を開けば仮面がそちらを向く。 言い出し辛そうにしつつも、決心をしたようにひとつ、息を呑んだ。 「ルルーシュの、遺体はどこにあるんだ」 「……さて。あの時、滅茶苦茶に破壊されたかもしれない。顔も、身体も、服も、なにもかも」 落ち着いた声音に、息を飲んだのは天子である。 まだ年若い彼女も、死体に鞭打つことがおぞましい行為だと本能で察知したのだろう。 「そういう報告は、あがっていない。コーネリア様や千草からも、話はあがっていないんだ」 「なにが言いたい?」 「大々的に、彼が死んだ報道はされた。だが、あの混乱で本当に死んだか誰も見ていない。だから、民衆が不安がっているんじゃないか?」 明確な死をきちんと伝えれば、安心するのでは。 提案に、なるほどと頷く者もいれば渋い表情をするものもいる。 誰も彼もが言葉を押し出せない中、ややあって躊躇いがちではあるもののはっきりと広い会議室に少女の声が通った。 「……扇首相」 「はい」 「ルルーシュは……、悪逆皇帝ルルーシュは、亡くなりました。わたくしがその鼓動の喪失を、知っております。必要ならば、報道もいたしましょう。彼は、死んだのだと」 世界のどこにもいないのだと。 感情が削ぎ落とされているなら、まだマシだったかもしれない。 凛とした表情を崩さぬ女王の言葉に、ならばと扇も首を横にする。 「彼の心臓は、間違いなく私が貫いた。それに、あの出血だ」 生きているはずもない。 断じる物言いに、扇が頷き押し黙った。 わかっているはずなのだ。 ただ、ルルーシュという人間は、あまりにも奇跡を起こしてきてしまったから。 逆転して、今度は自分たちを脅かすのではないのかと怯えてしまっている。 半ば、諦めと、哀れさをもってスザクは彼を見つめた。 許すも許さないもない。とっくに、ルルーシュは世界の全てに微笑んで腕を広げて受け入れている。 ただ負い目だけが、彼を今でも悪でいさせているだけ。 ―――嗚呼、まったく。 君の計算は、いつだってそのように世界へ走っていく。 こんな噂が流れたら、まだまだ悪逆皇帝への不満で目の前の不具合や不便なんて意識されない。 時間稼ぎにはぴったりだ。 仮面の奥で、目を閉じる。まだ消えてなんかやらないよ、と、幼馴染が笑った気がした。 *** いつか本当に彼の死を知ったとき、世界は新しいなにかを学ぶだろうか? |