バトレーは唖然として、書面と男を交互に見やった。 じぃと見つめられようと、上官を前にした男が揺らぐことはない。 必死にハンカチで額といわず米神といわず、汗を拭く将軍がやっと口を開いたのはたっぷり五分は経過した後だった。 「ジェレミア卿、これは一体………」 「除隊願いです」 震える問いに、答えは簡潔だった。確かに、書類にもそう書いてある。 理由の項目はチェックがひとつ。 一身上の都合。あまりにも口の広い言葉だ。どうとでも解釈出来る代物である。 「貴官に軍を退かれては、我が軍はどうすれば……」 ジェレミア・ゴッドバルトは、軍内部でも権勢を振るう純血派のリーダーである。 その彼がいなくなれば、少なくとも動揺は走るだろう。わからぬわけではあるまいに、男は矢張り首を横にした。 「キューエル卿ならば、私以上に軍を引き締めることも適いましょう」 「しかし、ヴィレッタ卿も今朝早くに除隊願いを申請している……。一体、何故二人揃ってなど……」 もしや個人的な柵かと、疑惑の視線を向けられて不本意ながら多少の不愉快が顔を出す。 すぐに言を撤回するものの、本心ではないのはわかりやすかった。 彼女の名誉のためにも、口を開く。 「私と彼女の間に、なにもありません。強いて申し上げるとすれば、私と彼女は道を違えたということでしょう」 彼女は軍人ではなく、栄誉ではなく、愛する人間をとったのだろう。 思えば、悪い気はしなかった。 彼自身が高位の爵位に生まれついていることもあるが、ヴィレッタが遮二無二求めるほど爵位というものが良いものではないことを知っている。 「クロヴィス殿下にお聞きしなければ……。最高司令官は、クロヴィス殿下だ」 「かしこまりました。自分は、身辺の整理を心がけたいのですが」 「それも含めて保留とさせてくれ。ジェレミア卿」 ため息に、流石にこれ以上は不憫と思ってかジェレミアはすぐに肯定を示した。 退室の許可を与えられ、礼をして部屋を出る。 そこに、見慣れた女性を見つけて自然と顔が綻んだ。 「久しぶりと、なるかな。ヴィレッタ卿」 「はい。卿のオレンジ畑へ、息子と夫と一緒に伺って以来になりますので」 未だ軍服から着替えていないのは、彼女も自身同様除隊許可が下りていないためだろう。 もしかしたら、不敬罪を承知で再度願い出に来たからかもしれない。 ジェレミアは視線で促すようにして、自身の執務室へ彼女を招いた。 軍人として扉を少し開けておくのは当然のことだが、その気遣いはどちらかというと人妻に対する意識のほうが高いからだろうとも思う。 「君もだったか」 「あまり、驚いておられない御様子ですが」 「いや、混乱はあった。だが、失ってはならないことは手放していなかった」 ならば、問題はない。 ゆるく被りを振る男に、ヴィレッタが失笑した。 「ルルーシュのもとへ、行かれるおつもりですか」 「無論。我が忠義はブリタニアではなく、殿下お一人にのみささげられる物。我が剣は殿下の敵を切り伏せるために、我が盾は殿下の御身を守るために。二心抱きブリタニア軍の軍服を着ていられるほど、私は傲慢に出来ていない」 言い切る男へ、ヴィレッタの微笑みは消えなかった。 「愚かな話です。朝、一番に目が覚めて、ここがまだエリア11と呼ばれる五年前の世界と知った時、私は絶望しました」 寝かしつけて隣にいたはずの息子はいなく、夫はいなく、二人目がいた身体はとても軽かった。 身の軽さに絶望し、外のあまりにも荒廃した世界に絶望した。 どうして、この世界を許容できていたのか。今の自分には、さっぱり理解が出来ない。 「出世欲も名誉欲もなく、見る世界は、こんなに荒んでいたのですね……」 ゆるやかに吐息を吐くヴィレッタに、ジェレミアは答えを持たなかった。 彼がひとえにエリア11に対し辛らつであったのは、ここが彼らが眠る土地だと思い込んでいたからだ。 主君が生きているとわかっている以上、感情の波は大きくはない。 「ヴィレッタ卿、貴公は除隊し、どうするつもりだ」 「夫のもとへ、行こうと思います。軍人のままのほうが、恐らくこのエリア11を変える手立てを得やすいでしょうが……」 テロリストと軍人が密に会うなど、出来るわけがない。 テロリスト側から扇が疑われるか、軍からヴィレッタが疑われ査問にかけられるか。 どちらにせよ、危険度が高すぎる。 だからこそ、彼女は除隊という道に踏み切ったのだろう。 「愚かでしょうか。一人の女として、いまさら生きようなどと」 「何故だ?」 「少なくとも、以前のように歩いていれば私は貴族にまで上り詰めることが出来た。しかし、それを得るために出した犠牲を、もう一度出して平気な顔でいられるとは、到底思えないのです」 一度は利用に利用を重ねて得た、貴族という地位。 ゼロに利用されたところからはじまった、捩れた道。 全てをなかったことには出来ないにせよ、リセットをかけるのは卑怯だという自覚はあった。 ただ、自覚はあるにせよどうしても出来ないのも事実だ。 例えばシャーリー・フェネット。 ルルーシュに恋をしていた少女。父親を亡くし、傷心だった彼女の心と恋心を利用してルルーシュがゼロである確証を得ようとした。 確実に自分のせいで負わなくても良い傷と痛みを、負った少女。 彼女を利用してまで、出世したいとはもう思えない。 「我々が、なにを求められてこんなやり直しをさせてもらえているのかなど、わからない」 厳かに言うジェレミアの瞳に、迷いはない。 窓の外は、租界が広がっていた。ほんの少し遠くに見える緑は、アッシュフォード学園のものだ。 「だが、我々はあの方に"明日"を頂いた。日を仰ぐ明日を、誰かを迎える明日を」 対価は、永遠の悪意をルルーシュ・ヴィ・ブリタニアという少年皇が永遠に背負うこと。 「己が道を往くために、我々は生きている。君の選択に、心から祝福を贈りたい」 「………ありがとうございます」 しあわせに。 短い言葉に、ヴィレッタは敬礼した。 仮に除隊申請が通らなくとも、軍を脱走する覚悟さえ今の二人には決まっている。 男は、自らの忠義を貫くために。 女は、軍人であることを辞めてでも得たい幸福を手にするために。 必要なのは、明日という世界。 ルルーシュが世界に示した未来は、例えカレンダーの時間が過去であろうと変わることはなく存在していた。 *** ループじゃなくて、リスタート。 ヴィレッタさんは女として、夫と一緒にいる幸せを得るために。オレンジはいうまでもなく。 次が一番の関門………orz |