はた。
 気付いたら、世界が暗かった。
 どうしてだろう。ナナリーは、小首を傾げる。
 この暗闇を、彼女は知っている。
 だからこそ不思議だった。別れを告げた暗闇に、この世界はとても似ていた。
 眼に触れる。やはり眼は伏せられたままだった。
 意識をして、眼を開ける。
 唐突に差し込んでくる光は、瞼越し以上に強いもので一瞬意識が飛ぶ。
 数度瞬きをして眼を慣らせば、見知らぬ世界。
 見知らぬけれども、覚えのある感触。
 もう、帰れることはないと思っていた、あの日の世界。
「―――おにいさま?」
 壁紙の色も、天井の色も、シーツも枕も窓の柵も。
 知識として知っていても、実際は知らなかった。
「おはようございます、ナナリー様」
 丁寧な言葉と共に入ってくるのが、いつかの日に離別したままだった女性の声。
 女性の姿。見知らぬ人。
 けれど、声だけは知っている人。
「………咲世子さん、ですか?」
「はい」
 にこりと微笑まれる。
 手を伸ばすか否か迷っていたら、そっと手に触れさせて貰えた。
 偽りの無い、温度。
「………ここは」
「アッシュフォード学園のクラブハウス、ナナリー様の私室です」
 そんなはずはない。
 自分は確かに、昨日、寝るまで、自分の寝室にいたのだから。
 続いて、年代も尋ねる。気の遠くなりそうなことだったが、既に五年前だという。
 だが、それを聞いていてもたってもいられなくなった。
 だって、ならば、―――あのひと、は。
「咲世子さん」
「はい」
「おにいさまは………」
 あの日以来、兄がいると振舞ったことはない。
 悪逆皇帝の名は、あまりにも世界に響きすぎた。どこでどう、反感を買うともわからない。
 隠しようもなかったが、殊更口外することもなく。
 代わりに、隠蔽するわけでもなくいた。
 それでも名前を口にするだけでも、躊躇われるひとになってしまった。
 あの、ひとは。
「もうすぐ、ナナリー様に朝のご挨拶においでになりますわ」
 息を飲む。
 生きて。
 生きて、いる。おにいさまが。
「咲世子さん」
「はい」
 彼女は、どんな問いにも嘘をつかなかった。
 黙っていたことはあるだろう、けれど彼女も、兄も、自分に嘘をついたことはなかった。
 嘘ではないから罪過にならないのかと言われれば、むずかしい。
 けれど、騙していたわけではないのだと。
 頭が冷静な、今ならばわかる。
「ナナリー、おきているかい? 朝食が出来ているよ……」
 必ずノックをする前に、一言声をかけてくれる。
 音に敏感な自分を気遣って、小さな音と小さな声で。
 そして、一人の少女として扱うために。
「あ………」
「ナナリー?」
「咲世子、さん………」
「はい」
 どうしよう、どうしよう、心が、声が、震えてしまって。
 どうしよう、どうしよう、涙が、瞳から、止まらなくって。
「お入りくださいませ、ルルーシュ様」
 少女からそっと離れ、メイドが扉を開ける。
 いつもならすぐに声を返してくれる妹の反応がないことを、不振に思ってしまっていたのだろう。
 ほっとした様子で入ってきた彼の足が、止まった。
「お、にいさ、ま………」
 はらはらと、涙は少女の頬を濡らす。
 ほろほろと、涙は少女の瞳を潤ます。
 菫色の瞳。
 愛しい妹がブリタニアから奪われた、光を受け止める瞳。
「なな、りー………眼が………!!」
 慌てて駆け寄って、顔をよく見ようと両手で少女の頬を包む。
 いくら狼狽していようと、彼女に触れる手はあくまでも優しく。―――どこまでもやさしく。
「どうして、いや、そんなことより、医者を、嗚呼! ナナリー!!」
 抱きしめる腕がいつもより強いのは、興奮状態であるからか。
 けれど痛みなど感じず、少女が感動するのは兄の鼓動を聞くからだ。
 母の鼓動が消えていくという"記憶"が、根付いている。
 兄の鼓動が消えていくという"実感"が、消えていない。
 失われていく体温、呼吸、鼓動。
 絶望しながら慟哭あげた喉はもう当の昔に癒えたはずなのに、ひりひりと喉に痛みを思い出させた。
「おにいさま、おにいさま、おにいさま………! わたくしの………!!」
「ナナリー!」
 最後に兄の顔をきちんと見たのは、少年の頃。
 自分が覚えている皇帝として君臨していた頃のほうが線が細い。今のほうが、少し幼げな顔立ちだ。
「おにいさま、おにいさま。ななりーは、おにいさまにいいたいことが、たくさんたくさんあるんです。おにいさまのおかおをみながら、いいたかったことがたくさん………っっ!」
 泣き濡れた声で、嗚咽を交えてそれでも続ける。
 ただ、感情に身を任せて吐いた憎悪。
 あんなことを、言いたかったわけじゃない。
 それだけで終わらせられるほどの、今までじゃない。
 目の前が真っ暗に染めた憎悪。言いたかったのは、あんなことじゃなくて。
 本当は。
「愛しています………!!」
 血を吐くような愛を込めて、彼女は魂から届けとばかりに告げた。
―――あの日、はじめて返してもらえなかった愛の言葉。
 永遠に絶望し続けることを決めた、平和記念日。
 神がいるなら、殺してしまおう。
 二度目の気まぐれを、起こされたくはないから。殺してしまおう。
 そうして作り上げるのだ。
 ただ、兄と自分だけが過ごせる世界を。
 愛している、愛しているよ。俺も愛している、ナナリー。俺の最愛の妹!!
 優しく、抱きしめられながら。
 少女は何度も繰り返し「愛している」と全身全霊を込めて告げ続けた。愛を返してもらうこの至福で、細胞全てを満たすように。




***
 ルルーシュ以外全員が一期一話へ逆行。
 ちょっと全員逆行させるには無理があったので、とりあえずナナリーと咲世子さんのターンを。
 連載になっちゃうかは、悩み中なので一応此方に。ナナリーが若干病み気味なのは気のせいです。


暗き空へと消え行きぬ




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