妖精の本性なんて、大抵陰惨なものだ。 チェンジングがいたずらなんて、笑えない。母親は金切り声をあげて取り乱すし、子供は自分の世界ではないことを本能で悟って物心と同時に絶望を覚える。 ミッドナイトサマーイブの、乱痴気騒ぎを知らないなんていっそ哀れみさえ浮かぶ。 妖精が影法師というなら、どうして綺麗な青空色の硝子コップにミルクを入れて置いておくのか。 土着信仰とは、つまり、意味など薄れてしまっても血が覚えているものなのだろう。 ゼロの部屋には不似合いな本を畳んで、スザクは書棚へそれを閉まった。 低いところのほうには、実用書と同時に休憩用のちょっとした絵本や写真集が揃えられている。 それは、彼のためのものではなく、この部屋へ好んでやってくる少女のためのものだった。 来る時はきちんと予定を組んだ上で、休憩としてやってくるナナリーだが、今日は急な用件とそれに伴う会議が入ってしまったため慌てて出て行ったのだ。 片付け損なったと気づいているだろうから、また来るに違いない。 多少息が詰まる仮面を、けれど外すことなくスザクは書類へ目を通した。 不意に、戸が叩かれる。 システムは欧米諸外国のものを取り入れていたが、この超合集国連合の施設は議長が神楽耶のせいか日本風の風習がいくつかあった。 いつか不満に繋がらないうちに解消させておきたいと思いながら、入室の許可を出す。 体重を背凭れへ体重を預け、軽く指を組んだ。 見下げるつもりは毛頭無いが、それでもゼロならばこうした態度を取るだろう。実際、彼は尊大なカリスマを装っていたと自分でも言っていた。 「扇か。どうした」 今日の予定に、君の来訪は入っていないが。 変声期を通してでも、スザクの声は若干低くなっている。細かい調整は、神出鬼没な咲世子がしてくれていたが体格はもう隠しようが無い。 最高幹部以外にも黒の騎士団の正体は、知れていた。 ゼロ失墜の際、迎撃部隊としてかなりの人数が投入されたのだ。第二次トウキョウ決戦の折、多くの人間が失われたがそれでもゼロの素顔を覚えている者は少なくない。 「……今日こそ君に、話があって来た」 「またか」 「何度だって、俺は来るさ。君が、その仮面を脱ぐまで」 「信用が無いな」 「当たり前だ! あんな……あんな茶番を見せて!! 世界の人々は納得したかもしれない、それでも、俺や黒の騎士団の人間は、君を認めたわけじゃない」 茶番、ときたよ。ルルーシュ。 内心で、スザクは失笑した。最早笑いしか浮かばなかった。 彼と自分の決意を知らないものが、茶番ときたものだ。 どれだけの絶望を抱えながら、どれだけの後悔を抱えながら、どれだけの希望を夢見ながら、彼が逝ったのかも、知らないで。 「ルルーシュは生きているんだろう?!」 「彼は死んだ。私が殺した。見ていなかったとは、言わせない」 「うるさい! 俺たちにギアスをかけて、アレがルルーシュだと思い込ませていなかったという証拠がどこにある!!」 「ギアスは万能ではない」 「嘘をつくな!」 吠え掛かる男を、黙らせることは容易だ。 今の扇は、さまざまな面で恨みを買いすぎている。 例えば、妻が元ブリタニア軍人でしかも男爵位の貴族であったこと。それだけならまだしも、彼女は殊更ナンバーズを見下していた純血派の一員だったこと。 勿論、今は違うと彼は声高に叫んでいる。 実際既に彼女は、扇要という男を愛して傍にいる。 だが、それだけで虐げられてきた人々が納得するかといえば、答えは残念ながら否だろう。 特に純血派の粛清活動は、活発だった。つまりは、それだけ彼女達はナンバーズを虐殺してきたことになる。 夫を、子供を、父を母を隣人を理不尽に奪った相手が、テレビの向こうで夫と共に幸福に笑っている。 虐殺皇女と悪逆皇帝、一瞬にして何百万もの人々を奪い去ったフレイヤのせいで、一時期は気づかれなかったことも、平和になるに従って恨みの感情と共に思い返されてくる。 政治の面でも、彼は民主主義で選ばれたわけではない。 あくまでも、暫定政権の暫定首相である。 これは、超合集国連合との話し合いで決まったことだった。司令官である黎星刻は、中華連邦の宗主である天子の後見。他国の指導までは、とても手が回らない。 繰り下げられる形で、事務総長である扇が首相に納まっただけだ。 それにしても、彼の政治的手腕はあまり良いようには好意的解釈をしても難しかった。 戦時下であれば、それでも良かっただろう。 けれど今はもう悪逆皇帝も倒され、平和が戻ってきた時代なのだ。 その場しのぎではない、長期的政略が必要とされる。 だというのに、彼が進めようとする政治はその場その場のものばかりで、未来へのヴィジョンがはっきりしない。 おかげで、金融にも支障が出始めている有様だった。国内の総生産力をあげようとすることも、復興も、外交も、勿論全て必要だ。 全て、必要なのだ。 どれかひとつずつを、丁寧にすることも大切だろう。けれど、その歩みの速さでは困るのだ。 人は生活していくには、多くのものが必要となる。下がってきた出生率も、戻っていけば教育問題にも大きな問題が出てくるだろう。 全てを一人で処理をしろとは、国民の誰も言う気はない。 そんな長い間、彼に政治家を勤めろなどと、無茶を言う気も無い。 だが、今選ばれたならば、その責務を全うされなければ困るのだ。 人、"明日"を生きる生き物なのだから。 まして、歯車を回さんと動く中で出鼻を挫くような真似は御免というものだ。 彼を、二つ以上の意味で黙らせることは簡単だ。 けれどあえて、ゼロは黙って罵倒を聞いていた。 「………君の言いたいことは、よくわかった」 「それでも、仮面を脱ぐ気はないんだな」 「あぁ」 「卑怯だ……!」 「よく言われる」 「君が誰なのか、俺たちは知ってる」 ゼロは、反応しなかった。 けれど無反応こそが、欲しかったのだろう。厳しい視線で、扇は一歩踏み出してきた。 「君だって、ゼロが憎かったんじゃないのか! そうだろう?! だから、ゼロを売って出世したんだ! 君と俺と、どこが違う!!」 言葉が言い終わるまで待ってやれたのは、ルルーシュの騎士として三ヶ月。 彼のやさしさに、触れ続けた結果だろうと。 静かに思いながら、万年筆を握り。 テーブルを乗り越え、扇の襟首を掴み上げると、顎の下と喉の丁度真ん中あたりにペン先を突きつけた。 数秒にも満たぬ早業に、彼がついていけるはずもない。 「………ひとつ、言わせてください」 変声機を通した、ゼロの口調が変わる。 はっとした表情で、扇は必死に視線を下へ向けたけれど、仮面では表情はわからない。 ただ、空気だけが、冷えていることがわかった。 「あなたと俺を、一緒にするな」 「っ……! 乱暴な………!」 「言葉なら、いいんですか」 声音はどこまでも、冷えていた。 「死者を罵倒する、言葉なら許されますか。物言わぬ死者を、侮辱する言葉なら、許されますか。過去であるから、許されますか。俺は、ルルーシュを売ってでも出世をしたかった。欲しい願いがあった、どうしても叶えたかった。そしてそれ以上に、俺は俺の全てでルルーシュを憎んでいた」 淡々と、告げられる声。 仮面越しに、瞳が向けられているのだろうとわかった。 「あなたはどうして、ルルーシュがそんなに憎いんですか」 「それは……! だってあいつは、俺たちを騙して……! 千草のことだって、利用していたんだぞ?!」 「騙され続けていたというなら、リヴァルや会長、ニーナなんて、ユフィのことをあんなに敬愛してたんだ……。彼らも、そうですよね。でも、俺の耳には、アッシュフォード学園の彼らがルルーシュを罵倒している、なんてこと、届いてこない」 ぎしり。 扇の襟元を掴まれる手に、力がこめられる。 苦しげに息を吐くけれど、スザクの手は緩められる様子など皆無だ。 「ヴィレッタ卿を、利用したって怒ってるけど……。軍人だったんですよ、ブリタニアの。敵を利用することの、どこが非難を浴びることなんですか」 「人の心を踏みにじる行為は、そんなもの関係無い……!」 「あなたの罵倒だって、ルルーシュの心を踏みにじる行為だ」 「………! あの、悪逆皇帝に、心なんて、そんなもの………!!」 あるわけがない。 言いかけた言葉は、不意に手放されたスザクの手により妙な悲鳴へと形を変えた。 漆黒の仮面の奥で、彼がどういった顔をしているのか。 扇にはさっぱりわからない。 「あなたがルルーシュをどう思って、戦って、怒って、そんなもの、俺は興味ありません。俺の知ってるルルーシュと、あなたの言うルルーシュは、まるで別人だから」 「だから、それはやっぱり君が騙されて!!」 「俺には、ギアスがかかっています」 言葉をさえぎって、スザクは静かに口にした。 ギアス、絶対遵守の催眠術のような力。それがどんなものであるのか、など、扇は知らない。 ただ、シュナイゼルによって齎された情報と、妻である千草からの情報しか無い。 何事か言いかけたが、それを封じるようにスザクが口を開く。 「俺にかけられたギアスは―――生きろ。これは、彼と俺が殺し合いをしていた頃にかけられた"願い"です」 「願い……?」 疑問符には答えてやらず、乱した書類を指先で整えながらスザクは仮面の中で口の端を吊り上げた。 ひどく、不快そうに。 「何度だって言います。あなたの憎悪と、俺の憎悪を一緒にしないで下さい。俺は、ルルーシュを知っている。その上で、俺はルルーシュを憎んだ。そして、赦されて、赦しあって、赦した」 「………それが」 「あなたは、ルルーシュという人間についてなにを語れますか?」 答えられないでしょう? 声には、歪んだ笑みが宿っている。 「カレンのお兄さんはブリタニアに奪われたかもしれない、けれど、ルルーシュが奪ったわけじゃない。俺は、俺から死ぬこととユフィを奪われました。それは俺にとって絶対に赦したくないことだったから、俺はルルーシュを赦さず、地獄より惨めな罰を与えようとして、彼を憎み続けました」 あなたは、ルルーシュからなにを奪われましたか? あなたは、ルルーシュからないを与えられましたか? 「答えられないから、あなたは所詮その程度なんですよ」 腰を抜かしながら、扇は唖然と"ゼロ"を見上げる。 ようやくここにきて、ひとつだけわかったことがある。 "以前のゼロ"が、どれほど言葉を選び、自分たちを赦し続けてきたのか。 ようやく、ひとつだけ、わかった気がする。 けれど、そんな程度では足りないし。 そもそも、遅いのだということを。目の前のゼロという存在そのものが、語っていた。 *** 扇政権に厳しく。 政権について書こうとしたのに、結局扇さんに「ちょ、お前そこ正座」的展開になっちゃって私涙目orz |