既に深夜。 衛兵たちも、見張りに巡回するだけの時間。 玉座に、ひとつ影が蟠っていた。 黒い外套は闇にまぎれるのには、逆に黒すぎるだろうに、赤や金さえ殺す闇は影を闇に抱えていた。 誰も気づかないはずの、そんな場所に。 ふと、明かりが宿る。 燭台などという時代錯誤甚だしい代物は、けれどここ宮殿内においては大した違和感もなく収まっていた。 少年が、苦笑交じりに歩を進める。 巡回の時間を、わかっているのだろう。 わかっていて、ここに来ているに違いない。見つかったら、見逃せとか、そんなギアスをかけてしまえばいい。 能力の使用に、最早躊躇いはなかった。 すべてが終われば、きっとすべては綺麗に片付く。そう、固く信じているから。 「スザク」 声音はやさしく、やわらかかった。 すっぽりとフードまで被った影が、そろりと顔をあげる。 顔は見えなかったけれど、蝋燭の朧げな光でもわかる茶の髪は己の騎士だった。 否、彼は自身の騎士ではないと、内心で首を振る。 彼はユーフェミアの騎士だ。自分はただ、名義を借りているに過ぎない。 「そんなところで寝たら、風邪を引く」 「………いいんだよ」 「よくない。医者は呼べないんだ、自己管理を徹底してもらわないと、困る」 お前は死んだことになっているんだから。 言われて、拗ねたようにまた玉座に腕をつき、それを枕に顔を伏せてしまう。 仕様のない、と言わんばかりの態度で、けれど愛をもって、ルルーシュはスザクの傍らにひざをついた。 「………もう日がないんだ。どうした?」 問いかける声は、静かで、穏やかで。 それを聞くたびに、スザクの心は乱れた。 憎い、なんて、もう。 思い込もうとしているだけであることを、彼は理解している。 憎くて憎くて、許したくない。 同時に、失うことを恐れている。 だが、彼を失いたくないなどと、いまさらどの口で言うことが出来るのか。 彼の生を、道を、選択を、幾度となく、否定した自分が。 ぎゅ、っと、スザクは口を噤んだ。 後悔ばかりが、溢れてくる。もっと、もっと、話すべきだったと、今更になって。 もう本当に、今更過ぎて、取り返しなんてつかないのだけれど。 「スザク」 呼ばれる声に、顔を向けられない。 けれどなにかを言わなければならない気持ちに駆られて、少年は重く口を開いた。 「………父さんを、殺した時」 「……うん」 「俺は、これで、なにかが良くなるんだと、信じた。信じたかった。みんな救われないかもしれない。でも、もう誰も、死なないと思った」 子供だった、浅はかだった。 子供だという理由で、許されてはならなかった。 浅はかなんて言葉で、認められてはならなかった。 「開墾地区に送られて、強制収容所みたいなところで働かされて、そこで、軍で身体を壊した人が、平気で銃殺されるのを見た」 自分が求めていたのは、ただ。 人が死なない、今までみたいに、なにもない退屈で、でも。 誰かが生きている世界だったはずなのに。 「従軍した、毎日虐殺を見せ付けられた。同じ日本人の人からは、裏切り者って石を投げられた。そうやってほっとしながら、でも、誰も知らないことが怖かった」 おびえ続けて、生きてきた。 誰も知らないまま、罪を背負って、罰を受けないで、何故生きているのかと。 「死にたかった、でもきっと、死にたくなかった」 生きていたかった。 痛かった。 痛みがなんなのか、わからなくなるくらい。心も精神も魂も、きっと擦り切れていた。 「………どうする? 父さんを殺しても、戦争は収まらなかった。結局、テロは溢れ続けた。ルルーシュ、俺が君を殺したって、世界は、どうせ」 人は争う生き物だ。 人は求め続けずにはいられない。 平穏を、平安を、安寧を、安息を、富を、権力を、永遠を。 求めて、結局争う。 ならば彼らのことを、気にする必要はどこに。 こんな醜い世界に、君がそこまでしてやる必要があるのか。 父さんを殺したって、結局世界は変わらなかった。 むしろ、悪化の一途を辿ったといってもいい。 今回も、そうなったら。 世界が。 「スザク」 静かな声に、名前を呼ばれ。 はっと、顔を上げた。 蝋燭の淡い光に照らされたルルーシュは。それはそれは、うつくしくて。 やさしくて。 悪逆皇帝、そんな二つ名が、嘘のようにさえ思われた。 「大丈夫だ」 「ルルー、シュ………」 「大丈夫だ、スザク」 大丈夫だよ。 子供の頃は、よく触れた。髪や、手や、腕や。ちょっとした接触は、時に子供の言葉以上に多くを伝えた。 特に、ルルーシュは言葉巧みな子供だったから、誤魔化しが上手かった。 そんな彼でも、触れた体温などまで、嘘はつけなくて。 「大丈夫だよ。スザク」 繰り返し、そういって、ルルーシュはスザクの髪を撫ぜ続けた。 大丈夫。もう間違わない、これは間違いじゃない。 みんなで笑う明日を手にするんだ。そのための駒が、俺というだけ。 大丈夫だよ、盤の手打ちは俺。 俺の計算は狂うことなどないさ。頭を使うことは、俺に任せておけ。嗚呼でも、任せっぱなしは駄目だぞ。 お前は、頭脳労働も求められる存在になるんだから。 「―――大丈夫だよ、スザク」 過去を、切り捨てろなんて言わない。 けれどお前には、明日が待っているんだから。 それは、お前自身の明日では、無くなってしまうけれど。 朝は、来るから。 「だから大丈夫だ、スザク」 髪に触れる、唇が。 あまりにもやさしくて。 スザクは、子供のように泣いた。しゃくりあげて、大泣きをして、ルルーシュの背に、しっかりと指の先に至るまで、力をこめて。 抱きしめて。 泣いた。 *** 誰かを殺すことで立つ岐路、っていうのは、スザクのPTSDをえらい刺激したんじゃなかろうか。 それでもやらせたルルーシュは、同じ行為の結果でも、今度は「明るい明日があるよ」ってことを、教えたかったのかな、と。 |