ナナリーが呼んでいる、と言われ、彼女の執務室へやってきたゼロは、笑顔で迎えられ、仮面の下、少しだけ眉を寄せた。
 ぱさりと、マントを払う。もう、唐突に声をかけて驚かせてしまうことを配慮する必要は無い。
 わかっていたけれど、してしまう。
 これはもう、癖のようなものだ。幼少期からの、彼女を知っていた者としての。
「………お久しぶりです、ゼロ」
 笑う姿は、健気な少女だった。
 こくりと彼も首を縦にする。どうぞ、お掛けください。
 ソファへ促されて、彼は柔らかいソファへ腰を下ろした。
「お忙しい中お呼びたてして、申し訳ありません」
「いいや。国家主席より呼ばれることは、名誉であるからな」
「まぁ。………その口調は、疲れませんか?」
 ―――スザクさん。
 音にすることはなく。唇だけが、ゼロを呼んだ。
 わかったけれど、彼は返事をしなかった。むしろ、笑ってさえみせる。
「疲れることは無い。私の口調は、常にこんなものだ」
「そうですか」
 ナナリーも、言及はしなかった。
 ゼロは、此処にいる人間ただ一人。
 それで良いのだ。世界にとっても、自分たちにとっても。
 そうでなければ、ならない。
「あなたには、お伝えしておきたくて」
「なにか問題でも?」
「いいえ。シュナイゼル兄様と、カノンさんがとても助けてくれていますから」
 困ったことは、なにも。
 首を振り、ではなにをと。問いかければ、少女がかなしそうに笑った。
「お墓を」
「―――」
「お墓を、建てたかったのですけれど」
「―――」
「私のちからが、足りなくて」
「―――」
「無理、でした」
「………ルルーシュ皇帝は、それだけ世界に非道を強いた。必要はあるまい」
「わかって、います。けれど、お母様のお墓はアリエスの離宮にあっただけで、消えてしまいましたし、お兄様のお墓が無い、のも………」
 辛くて。
 言葉は、かみ締められた唇の中に消えた。
 アリエスの離宮を、ペンドラゴンを、消してしまったのは、自分のせいだ。
 わかっていると思っていて、ナナリーはわかっていなかった。
 場所を完全に消滅させてしまうということは、そこに付随する思い出さえ、消してしまうことだったのに。
 彼女は、わかっていなかった。
 今更にして思う。離宮に取り残されていた、あのぬいぐるみはどうなったのだろうかと。
 無意味だと、わかっているけれど。
「あの時」
「………」
「お兄様に、愛していると言ったんです。私には、本当に、お兄様しかいらなかった。世界なんて、いらなかった。やさしい世界なんて願い、持たなければ良かった。そうしたら、お兄様はずっと私の傍にいてくれた。お兄様は、ずっと私だけの傍にいてくれた。 お兄様が、すべてでした。お母様が亡くなってから、私にはお兄様しかいなかった。お兄様にも私しかいなかった。ならば私はそれで良かった。お兄様さえいてくださるのなら、他の全てのことは無価値でしかなかった。―――優しくしてくださったユフィ姉様も、コゥ姉様も、クロヴィス お兄様も、シュナイゼル兄様も、アッシュフォード家の方々も、ミレイさんもカレンさんもニーナさんもシャーリーさんもリヴァルさんも、咲世子さんも、スザクさんでさえ。いらなかった。私には、お兄様さえいればそれで良かった」
 すみません、最低で。
 言いながらも、けれど笑う少女。
「お兄様に、愛していると言って、返していただけなかったのは、はじめてです」
「………言葉だけが、愛ではない」
「えぇ、わかっています。だからこそ、私は生きている」
 明日を、笑って迎えるために。
 最愛の兄を、踏みにじる世界の平和を維持するべく。
 生きている。
「スザクさん」
「―――」
「お兄様を殺した貴方を、私は赦せません。ごめんなさい、でも、赦せません」
「それでいい」
「えぇ、ありがとうございます。スザクさん」
 少女の頬を、冷たい水が這う。
 紫色の瞳から流れるのに、色は透明だ。
「あなたをいっそ殺してしまいたい。あなたにいっそ殺されてしまいたい。けれど、それではお兄様がなさったことが無駄になる。それだけは。それだけは避けなければならない。でなければ、なんのためにお兄様が世界の悪意を全て持っていってくださったのかわからなくなってしまう」
 だから、私は殺さない。
 だから、私は殺されない。
 だから、私は生き続ける。
 こんな、無価値な世界を。
「………ナナリー」
「はい」
「永遠を生きる魔女から、ひとつ伝言がある」
「C.C.さんから? なんでしょう?」
「『幸せになれ』と」
「……魔女らしい、お言葉です」
 笑って、けれど少女は「はい」と頷いた。
 雲雀が空を舞っている。
 ダモクレスは既に、成層圏を突破してデブリとなっているに違いない。
 平穏な空の下。
 少女の渇きが満たされることは、永遠に無いだろう。



***
 ナナリーは、きっと永遠に嘆いて渇きながら明日を生きるのではないかと。
 それが、最後に「愛しております、お兄様」と言った彼女の背負うものだと思います。


晴れ過ぎた空




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