ナナリーは、はじめて兄の顔を見た。 否、はじめてというわけではないけれど。 それは、まだたった十歳の兄の顔で。 十八の兄の顔は、知っていたけれど知らないままだった。 はじめて見た兄の顔は、とても綺麗で。まるで、幼いころに読んだ絵本に出てきた優しい魔法使いのようだった。 兄が泣いていたのをみて、はじめてナナリーは笑った。 泣いて、嘆いて、慟哭して後悔していた。 少しだけ、残念に思ってしまう。 こんな綺麗な顔で、微笑まれていたのに。 こんな綺麗な顔に、微笑まれていたのに。 こんな綺麗な顔を、向けて貰っていたのに。 自分はずっと、見ることが出来なかったのだ。少しだけ、かなしい。 父の死を聞いた。父の直属騎士による言葉だ、信じないわけにはいかない。 同時に、母の意識が実はこの世に残っていたけれど、でも、その意識も消えてしまったことを聞いた。 とても不思議な話だったけれど、そんな不可思議な話を嘘をついてまで話す必要はないから信じることにした。 自分は、誰かを信じなければ生きていけないのだから。 だから全部信じることにした。 父の死も、母の死も、兄の行為も、スザクのことも。 全部信じることにした。正負、どちらの意味も含めて。 「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう」 悔恨のように、幾度も呟き続ける兄の頭を撫でてあげたかった。 いつか母がそうしていたように。 母が、とても立派な人であったのも事実だろう。母の本当の願いや望みが、なんだったのか今の自身にはわからないけれど。 けれど、母が母であったことは事実なのだろうと思う。 「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう」 苦しい声だ。 嗚咽をかみ殺し、涙をはたはたと流す彼は、なんて美しいのだろうと思った。 ひどい顔だ、いくら綺麗であろうと、涙で顔はぐしゃぐしゃだ。 それでも、ナナリーには兄の顔は美しく見えた。 伸ばした腕の先が、かわいそうなくらい震えている。 思い返せば、兄がゼロならば辻褄のあうことはいくらだってあった。 政策についての細やかな指摘、エリア11総督着任の際の襲撃も決して乱暴に奪っていこうとすることはなかった。 行政特区日本でさえ、失敗に終わったとはいえあの場でナナリーの政治能力の低さを大々的に口にすればそれだけで彼女の信用はもっと落ちていたはずだ。 しようとする素振りすら見せず、どれもしなかった。 兄だったからだろう。愛されているのは知っていた。 愛してもらっていることを、知っていた。 どんな立場になろうとも、兄は兄として必死に愛してくれていたことをナナリーは知っていた。 だからこそ。 「お兄様」 泣く必要なんて、ないのだ。 世界に自分は、いらなくなる。 ならば、シュナイゼルと一緒に世界から退場するのがもっとも美しいやり方のはず。 そのための算段も、もうついている。 兄がここにいるということは、計画は滞りなく進んでいるのだろう。 「私は、お兄様の敵であることを自ら選択しました。ですから、これは私が為した結果です」 だからどうぞ傷ついて、泣いてしまったとしても、自らを責めないで下さい。 あなたは私の意志を尊重してくれた。 見ない振りをしていた私の意志を、願いを、自由を、あなたはわかってくれたからこそ私はこの場にいる。 それは信頼より深い、絆の名前で然るべきはずだ。 「愛しております、お兄様。あなたのお顔を見れて、嬉しかった」 終焉は、あなたの手であって欲しい。 手を伸ばして、受け入れようとして。 涙を止めようと、手で顔を覆っていた兄の顔が上がる。 清清しいほどの表情に、覚悟と決意を見つけた。 もし、ナナリーの眼が以前のように見えなかったら。もしかしたら、結末は変わったかもしれない。 気配や雰囲気で、彼女は相手を認識していた。 だが、視界が開けた今、その感覚は鈍ってしまっていて。 視覚という情報に、押し流されてしまっていて。 だから、欠片も気づかないまま、止めることは出来ないまま。 「ナナリー」 「はい」 「俺が唄うのは、レクイエム。すべてを終わらせるための、子守唄」 「はい」 だからこそ、この争い。 ブリタニアの分割は、国家間で更なる争いを発展させるのは現状続々と起きている反発を見れば明らか。 それだけではなく、超合集国に対しても暴力を振るい世界の敵となってしまった。 世界の敵として存在するためには、踏みにじっていかなければならない。 例えそれが、実妹であろうと。 言い募ろうとしたナナリーに、ルルーシュは笑ってみせた。 「世界の敵が、俺たちでなければならないと思ったのはシュナイゼルの柔らかな独裁では世界にわかりづら過ぎると判断したせいだ。あの男の政治は、悪意を優しさで包んで押し付けてくる」 それだけでは、世界に敵として認識されない。 それだけでは、世界には弱いのだ。 だからこそ、わかり易い独裁政治の形で立ったのだけれど。 「ひとつだけ心残りがあるな」 「え」 「虐殺皇女の名前を注ぐには、まだ少し、俺の暴虐は足りなかった」 悪逆皇帝ルルーシュ。 ブリタニア文化を破壊した、十代の王。 「ナナリー」 「はい」 「世界の敵は、いつだって飛び道具が好きなものなんだよ」 ガチ、と向けられたのは、自身の米神。 ナナリーが前のめりに兄を止めようとするけれど、彼女の足は現実に銃弾に打ち抜かれたことによって動けなくなったもの。 止めることは、かなわない。 「どうして!!」 「シュナイゼルの政治は、穏やかな支配。俺の政治は、敵をひとつとした上で纏め上げる対立。世界にとって、どちらも毒だというのなら、俺はお前を殺す道は選べない」 「お兄様!!」 「そうだよ」 非難するような声に、返した声音はやさしかった。 やさしすぎた。 ナナリーが、怯んでしまうほどに。 「俺はお前の兄なのだから、お前を殺せるはずもない」 だけど、安心して。ナナリー、君の手を汚させることも、ないから。 「やめ………ッ! やめてください! お兄様!!」 答えはなかった。 悲鳴と銃声と泣き声が、室内に響き渡る。 世界はとても優しくて。 世界はとても美しくて。 世界はとても穏やかで。 そうだと教えてくれた人にとって、世界はとても酷かった。 けれど彼女にとって教えてくれた人が"世界"だったから、自分は世界がとても酷くても惨くても優しいものになると信じていられた。 たぶん、それだけの話。 *** ナナリー殺すくらいなら、ルルは自殺しそうです。たぶんスザクがそんなもん許さないだろうけど。 眼はオレンジのギアスキャンセラーで、見えるようにしました。(先に言え |