夜会を嫌う子供は、割と多い。 ジノ・ヴァインベルグも例に漏れず、夜会を嫌う子供のひとりである。 確かに、普段ならば寝ていなければならない時間まで起きていられるのは楽しい。 しかしそれは、自分が自由に過ごせる時間として使えるならば、の話だ。 なにが悲しくて、世辞と謙遜と皮肉と傲慢を笑顔で聞き続けていなければならないのか。 若干十三歳でありながら、という言葉は、このブリタニアでは通用しない。 まだ、などという言葉は、この国にありはしないのだ。 もう十三のジノは、夜会に連れ出されるからには列記としたヴァインベルグ家の四男としての振る舞いが求められていた。 いいけどさ。少しばかりささくれた気持ちで、オレンジジュースに口をつける。 視界には、少ないながらも同じ年齢の少年少女がいた。 やはり彼らも笑顔だ。笑っていない、浮かぶだけの笑顔である。 本当の笑顔など忘れてしまった。領地の庶民たちが浮かべる表情が、笑顔なのかさえ曖昧だ。 「ジノ」 「はい」 呼びつけられて、手にしたオレンジジュースをボーイへ押し付けそちらへ向かった。 母のそばに立つのは、アッシュフォード家の少女だ。 自分より三つ年上なだけの彼女と、まさか取り持ちたいのだろうかと内心で辟易する。 貴族の家に生まれたからには恋愛の自由などというものを求める気はないが、それにしたって彼女はなんとなく遠慮したい。 何故なら、彼女はすでにお手つきである。 確か、先日アスプルンド家の次期伯爵と婚約が成立したのではなかったか。 奪うことさえ奨励される国であるが、人様の妻となる身にまで手出しをする気は生憎ジノにはない。 頼むから厄介に巻き込んでくれるなよ、と思いながら典雅に礼をしてみせる。 「こんばんは」 花のような少女に、そこではじめて気がついた。 なるほど、どうして少女の周りだけぽっかりと穴が開くようになっていたのかわかった。 車椅子なのだ。成人一人分以上のスペースが、必要なはずである。 「はじめまして、ナナリー様。ヴァインベルグ家四男、ジノ・ヴァインベルグと申します」 名乗ることを許されて、はじめて口にする自身の名前。 そっと手をとって甲へキスをすれば、通過儀礼とわかっているだろうに少女が頬を少しだけ染めた。 有力貴族であろうと、皇族との間には天と地ほどの差がある。 威圧感に溢れた皇族ばかり見てきたジノにとっては、なかなか新鮮な反応だった。 「先ほどから、お前の話をしていたのよ。ねぇ、ナナリー様」 「はい。軍学校を、もうすぐ卒業なされるとか。KMFの調子は、如何ですか。私はあまり詳しくありませんが、こちらにいるミレイさんはとてもお詳しくて……」 「あらあらナナリー様、そんなことをおっしゃらず、どうかうちの息子のお話し相手になってくださいませ」 常より一オクターブ高い母親の声に、そういうことかと渋面が浮かぶ。 つまり、この少女と縁戚関係に漕ぎ着けたいわけだ。 確かにヴァインベルグ家は有力な貴族であるが、皇族や公爵位の人間と並べられるはずもない。 家の地位を手っ取り早く上げる方法は、より有力な家と結びつくことである。 目の前の、少女と、結婚。 考えるより先に、無理だとジノの意識が満場一致で答えを出した。 なにも、失礼な意味で無理だと判断したのではない。 ただ、この少女を利用目的で振り回すことは嫌だと子供らしい潔癖さが現れたに過ぎない。 「ジノ、さん」 「はい?」 「少し庭園まで、ご一緒していただけませんか?」 やわらかく問われ、笑顔で頷く。 困ったような表情の少女で、事情は察せた。 つまりは、この場から一時避難でもなんでもいいから抜け出さないかとそういうことだ。 ジノ一人ならば、親の目さえ誤魔化せばなんとかなるがナナリーはそうはいかない。 良くも悪くも、車椅子の少女は目立つ。自力でこの場を抜け出すことは、困難だろう。さりとて、皇族の人間が来て早々辞するわけにもいかない。 戦場の女神とあだ名されるコーネリアや、すでに宰相補佐として忙しく立ち回るシュナイゼルは別として、ナナリーの皇位は八十七。 忙しいはずもない彼女がそんな態度を取れば、次の夜会では確実に誹謗中傷の嵐である。 「喜んで」 抜け出す口実が出来たことを、言葉通り喜び、少女の車椅子のもち手を握った。 ミレイに、いってらっしゃいとやさしく見送られて庭園へ出る。 衛兵に会釈をしているナナリーの、物慣れぬ雰囲気に笑みがこぼれた。 「えぇと、こっちの庭園でいいのかい?」 「え?」 「どこか行きたかったんだろう? 押す時に、少しだけ体重を移動させて、私を誘導していたから」 「あ……。ご存知だったんですか」 「手にしたものの、ちょっとした感覚の違いを分けられるのは、KMFパイロットにとって必須項目だから」 仄かにライトアップされた庭園の、入り口を少し過ぎたあたりに設えられた東屋へ入れば音楽ばかりが耳に届いて喧騒が遠い。 やっと一息つけた、とばかりに息を抜けば、ナナリーが笑った。 「あ、すみません……」 「いや。愛想笑いも疲れていたところだ。そうやって、普通に笑ってくれているほうが気持ち良い」 彼女を見て、やっと自分も笑顔を思い出した。 そうだ、穏やかな笑顔とはこういうものをいうのだった。 「ここに来たかったのかい?」 「えぇ。この庭園が、一番出入りしやすいということで、護衛の方も多いですから」 言葉に、安全策を考慮した結果かと、意外性のある答えを無意識に期待していただけに残念に感じたけれど。 すぐさま、それが違うことを知る。 「兄が来ているんです。今日のパーティーの、護衛として」 「兄君が?」 「はい。とはいっても、兄は皇権を返上しているので、もうそんな風に呼んではいけないのでしょうけれど……」 立場が変わろうと、兄であることに代わりはありません。 ふわりと夜風に揺れるミルク・ティ色の髪が、否定に揺れた。 「皇族を返上して、軍人かなにかに?」 「えぇ。でも、詳しいことはなにも。……なにも、おっしゃってはくださらない」 ひどいとはいえない、自分で調べることにも限界がある。 近づけない兄の遠さに、少女はひっそりと息を零した。 「今日は、ミレイさんにお兄様へ伝言してもらったんです。絶対に、此方へ来るからお会いしましょう、って」 勝手に会ったら、怒られるとわかっている。 けれど、護衛が庭にいるのは当然で、少女が庭園へ抜け出したいと言ったのはその場の我侭でしかない。 これくらいなら、許されて欲しい。呟きは少女の願いだった。 「ならば、私はいないほうが良いんじゃないか?」 「いえ。いてくださったほうが、なにかあった時にありがたいので。私一人きりですと、お兄様に会おうとしていた意図がわかってしまいますが、ジノさんとご一緒でしたら偶然で済ませることも出来ますし」 「うん、ナナリー様はなかなか強かな方だ」 気に入った、と頷けば、少女がくすくすと笑う。 「ジノさんは、軍に入隊されるのですよね?」 「このままいけばそうなるかなぁ。聞いただろう? 私は、ヴァインベルグ家の者とはいえ、四男だし上の兄たちは優秀だ。私が家に残る必要はない」 軍人なら、己の腕である程度まで上りつめることが出来る。 言われれば、なるほど。と頷いた。 彼女とて、皇族の身分を生きる者だ。貴族といえど、家の中で起こる確執を知らないままこの年齢まで生きてきたわけではない。 「わたくしのお兄様も、軍の関係にいるはずなんです。もし、お会いしましたらその時はどうぞよろしくお願いしますね」 「是非とも、仲良くなりたいな」 さて、まずは今日の対面から、と、ジノは立ち上がると伸びをした。 急ぐ足音が聞こえる。 件の兄君かと、ジノは瞳を輝かせて相手を待った。 この出会いが、軍人として駆け上がる切欠の一つであったということを、彼は後々様々な者に語る。 *** ルルがジノと会いませんでした……!(こんなんばっかだな私orz 有能なKMFパイロットとして戦場飛び回り、二年後ジノはラウンズ入り。 |