目の前が赤く散りかけ、決死の思いで彼女は胸からあふれんばかりの暴言を無理に飲み込んだ。
 奥歯を噛み締めすぎて、既に頭が痛い。
 星刻はずっと腕を組み、眉間に皺を刻んでいる。
 トン、と一度彼の指先が自身の腕を打った。
 一頻りの説明をし終えたディーハルトが、顔を上げる。
 情けない顔の玉城も、杉山や南も、視線を逸らした。
「………それで? 結局のところ、ゼロはどこへ行った」
「逃げた。………逃げちまったんだよ。ゼロの野郎ォ……」
 呟く玉城の声が、泣きそうだ。
 しかしそちらへ首を向けることもなく、星刻は藤堂と扇へ視線をやった。
 武人然としたこの男が、今はどこか不愉快なのは気のせいか。
「追跡は」
「している。だが、ジャミングをかけているらしい。蜃気楼も見当たらないという報告が入った」
「なるほど。………この責任、如何するおつもりですか。神楽耶様」
 厳しい声に、数名が怪訝な顔をする。
 何故、彼女にといわんばかりの表情だが、少女は周囲を切り捨てるが如く無反応で、むしろ被りを振るい星刻へ頭を下げた。
「言葉がありませんわ。我が国の人間の責は、わたくしの責。ですが、今は」
「わかっております」
 短いやりとりに、扇の眉間へ皺が増える。
 彼女が何故頭を下げたのかわからなければ、ゼロのことを一旦脇へ置かれたことに対する不快もあるのだろう。
 声をあげた。
「そんなことを、今言っている場合じゃない。騙されていたんだ、俺たちは」
「だから?」
 やはり星刻の声は、冷静だった。
 だから? 鸚鵡返しに唇を動かす扇の顔に、朱が混じる。
「ゼロはただのペテン師だ! あんな奴の言うことを、聞いていたなんて………」
「自分が情けない、か。滑稽だな」
「申し訳ありませんわ。黎司令官」
 平坦な声の二人に、眉を吊り上げたがディートハルトが制した。
 代わりに、彼が口を開く。
「なにはなくとも、これで日本は解放される。神楽耶様、どうか放送の準備をお願いします」
 ブリタニアが、ひとつとはいえエリアを奪還されるのはこれが始めてのことではない。
 だが公的に手放す、としたのは初めてのはず。
 この放送が、どれだけの価値を持つのか熱弁しかけた男を、じ。っと少女が見つめ。
 漏れた声音は、ややあってからだった。
「………は?」
「は、いえ、ですから」
「あなた方、なにを仰っておいでですの・・・?」
 声の振るえに、はじめに気づいたのはカレンだった。
 居心地悪そうにしていた彼女が、はじめて手を伸ばそうとするが。
 それも、少女の一筋流れ出る涙によって固まった。
「日本を、ブリタニアから譲られた………? ゼロ様を売って………? あなた方、いったい………」
 ゼロを、売って。
 言葉に動揺が走る。
「あ、あなた方、一体、なにを考えて………っっ!!」
 言葉にならないのか、戦慄く唇へ手を当てる。
 瞠目される瞳から、あとからあとから涙が溢れていった。
「プライドはありませんの。日本は我が国、蹂躙されても我が国であることに変わりありません。そのための、戦争ではありませんでしたの。対価など無用。支払う必要など、ありえませんわ。だって、あそこは、日本は、我が国の領土ですのよ………?」
 それを、ゼロを売ることで得るなどと。
 今までの戦争に、後ろ足で砂をかけるような行為ではないかと。
 愕然とした表情のまま、うつろに彼女は続ける。
「藤堂将軍」
「……何だ」
「それが、貴公の答えか」
「なに?」
「日本さえ戻れば、後は他がどうなろうともどうでもいい。それが、貴公の答えかと聞いている」
 長い黒髪を揺らして、見つめる視線は酷く冷ややかだ。
 侮辱、と捕らえたのだろう。
 千葉がくってかかりかけたのを、藤堂が腕で制した。
「先ほど、そのギアスとかいう能力で操られたらしき人物の一覧、見せてもらった。なるほど、高亥様も操られていたというなら納得がいく」
「ならば」
「だが、私や香凛、あまつ天子様の名はなかったな」
 言葉の真意がとれず、誰もかれもが男を胡乱に眺めやる。
 気づかぬことさえ哀れみを抱きながら、星刻は優しさを持って一言一言、丁寧に教えてやった。
「日本人を逃がす際、彼は言ったな。どこであろうと、日本人であるという心があるならばそこは何処であろうと日本になると。そして、天子様へのご結婚を彼は選択しなかった。何故ギアスで私や天子様を操らなかった? そんな便利な力があるならば、使えば良い。そのほうが、彼の指示下におけて便利だろうに。その選択をとらなかったのは何故だ」
「ブリタニアの捜査とて、完璧ではない。我々や、君らさえ操られているのかもしれない。そうしてゼロを擁護する発言をすることが、その証拠ではないか?」
「馬鹿馬鹿しい。私は、ゼロを信用に足りる存在だと知ったからこそ彼の手を取ったのだ。そこに強制の意思はない」
「ですが、ギアスという能力は強力な催眠暗示の類だといわれております。あなたの自覚がないだけやもしれませんし………」
「能力の詳細は?」
「え?」
「見た限り、どういった能力であるのか、声での命令のみ有効なのか、それとも他になにかあるのか、効果範囲は? 持続時間は? 一度にかけられる最大人数は? それらの情報はブリタニアから齎されたもののみのようだが、君たちはどこから手に入れた?」
「ブリタニア第二皇子、シュナイゼルより直接だ」
 扇が鬼の首でも取ったかのように言うが、それは一層彼らへの哀れみを増させるだけだった。
「………信じたのか」
「なに?」
「いや。それで、シュナイゼルが来てゼロを売る代わりに日本の返還を要求した、と」
「ああ」
 嘆息が零れる。
 情けない、とばかりに神楽耶はスカートを掴み、片手で目元を押さえた。
「超合衆国連合に対し、なんと申し開きをすれば良いのでしょう」
「神楽耶殿………」
「既に我々は、戦争を仕掛けました。日本奪還戦争ですわ。この件は既に、過日のブラックリベリオンとは枠を大きく超えています」
 以前は国内だけで収まった。
 けれど今はもう、他国さえ巻き込んでいる。
 これは最早、日本だけの問題ではないのだ。
 だというのに。
「勝手にCEOを売り、合衆国連合に対しなんの報告もなく勝手に取引をして、応じた。これは、超合衆国連合に対し弓引く行為です」
 言ってしまえば裏取引だ。
 しかも、ゼロという存在自体に代わりはそうそう居ない。
 記号化されてしまったとはいえ、あの作戦指揮能力を、戦術立案能力を、指導力をカリスマを、持つ人間は多くない。
「第一、貴公らの言う奇跡はあくまでブラックリベリオン時のものばかり。我々は、ギアスの力を得ようとも彼が紡いだ奇跡を目の当たりにしてきたからこそ、信じると決めたのだ」
 例えば、行政特区からの百万の国外逃亡。
 あそこに、ギアスが入る余地があっただろうか。
 確かにゼロは、枢木スザクと交渉はした。その時にギアスを使ったかどうか定かではないが、もし使っていたとしても、結果的に彼は百万もの人間を無傷で連れ出したのだ。
 誰か一発でも弾丸を放てば、あそこはまた虐殺の会場となった。
 それを、押さえ込んだのは他ならぬゼロの手腕ではないか。
 例えば、大宦官達より発言を引き出し中華連邦の人民を蜂起させた。
 あんなもの、ギアスなどという超常の力を使うまでもない。あれが本心だろうことは、人ならぬ身ではない星刻ですら容易にわかっていた。
 言葉を選び、タイミングを選び、こちらの水面下での計画を利用したのは、ゼロ自身の手腕ではないか。
 喉元まで出掛かって、けれど星刻は言葉を潰した。
「貴公らの手に、日本が帰ったことは素直に喜ぼう。しかし、今は現実を見据えることをしてくれ」
「どういうこったよそれは! 戦争は終わりじゃねぇのか!!」
 吼える玉城に、今度こそ嘲笑が浮かぶことを星刻は隠せなかった。
「なにを馬鹿な。戦争は始まったばかり。日本が取り返されたから、自分たちにはもう関係無いとでも言うつもりか」
「………ッ!」
 それは、先日朝比奈と千葉が漏らしていた言葉でもあったために。
 藤堂が無言で、息を呑んだ。
「我々が潰されるか、ブリタニアを破壊するか。そのどちらかの道しか、もう無いんだ」
 All or Nothing
 そこまで来ているのだ、この戦争は。
「だが、俺たちはゼロに言われて!!」
「いい加減になさい、扇副指令」
「神楽耶様………」
「全て、ゼロ様の言われた通りでしたか? ならばそれは、自ら考えることを放棄したご自身の責任のはず」
「そういうギアスをかけられていたのかも、」
「ならばそれに、気づかなかった愚かな己の責です」
「神楽耶様!!」
「他人に責任を擦り付けるような余裕のある、状況だとお思いですか!!」
 叩きつけるような言葉に、扇のみならず藤堂でさえ背筋が伸びた。
「ゼロ様の作戦立案能力は本物ですわ。あの方がいなくなられただけで、どれほどの損失か」
「だ、だけど、こっちには黎司令官だって……」
「私には私の、戦場がある。他所をかまって戦えるほど、ナイト・オブ・ラウンズは軽い相手ではない」
 言下に否定され、杉山が黙り込む。
 カレンもまた、それに同意だった。
 ゼロの指示があったからこそ、自分は目の前のスザクや、ジノにのみ集中して戦えていたのだ。
 改めて思う。本当に、ゼロの価値は奇跡だけだったのか。
 本当に、全てギアスのおかげだっただろうか。
 わからない、答えの出ない問題に、かつて黒の騎士団幹部組みと呼ばれた彼らはいっせいに沈黙を落とす。
 けれど、黙っていられるだけの余裕も無いのだ。
 なぜなら今は、戦争中なのだから。



***
 毎度意味のわからないタイトル。
 アッシュフォード学園に夏服はないのか。っていうかR2、今の季節はいつだ。


真夏に真冬




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