老人がその場に行き会ったのは、本当に偶然だった。
 戦争にも似た、物々しい空気。
 ラジオで聞かされた、数千万の人間のあっけない死。
 山に入り、悠々自適な陶芸家もどきをしていた彼も、流石に家族が心配になり山を降りようとしたのだ。
 そこで、行き当たった。
 少年、であったように思われる。確信がないのは、老人の目の悪さが原因だ。
 戦争といえど、ブリタニアに肉薄する組織や国があるはずがない。
 そうと思っていたのに、この状況だ。彼は愛用の眼鏡を、すっかり自宅のリビングテーブルへ置き忘れていた。
 老眼であるのも、原因のひとつだろう。先を進むことを求めるあまり、手の近くが疎かになりかけていたのに気づかなかった。
 背の低い木々を抜け、切り立った崖を左へ曲がればそこからまっすぐに降りてまた山へ入り山道となる。
 慣れたとは到底言えないものの、それでもわからぬ道ではないそこを歩いて歩いて。
 必死で、蹲ってなにかをしている少年を見つけた。
「どうしたのかね。なにか、探し物を?」
 思わずのように問いかければ、弾かれたように身体ごと少年は老人へ向いた。
 よくは見えないが、少年の傍には誰か倒れている。
「どうしたのかね! そこの子は、倒れたのか?!」
 慌てて駆け寄ろうとした老人に、少年はひどく静かに首を横にした。
「いいんです」
「しかし………」
「あの、爆発があったでしょう? あれで主要な病院は、ほとんど消えてしまって……」
「だが軍のテントが、医療用に広げていたはずじゃなかったかな」
 命を諦めるには、若すぎるだろう。
 ぼんやりとした視界にも、明らかだった。黒く見えるのは、喪服ではなく学生服ではないだろうか。
 言い募る老人に、けれど少年は矢張り首を横にするだけだった。
「いいんです。俺は、俺たちは、ブリタニア軍に良い思い出がなくて」
 だから世話になりたくない。
 言外に告げられて、老人は眉を顰めながらも深い息を吐いた。
 発音からして綺麗な公用語のためブリタニア人なのだろうが、軍の作戦に巻き込まれる民間人は後を絶たない。
 無論、国からの保障はあるがそれだって完全ではない。
 また福祉に対して国風的に力を入れないブリタニアは、ブリタニア人としても住み辛さを感じることもある国だ。
 彼らもその類だろうと、老人は一人納得した。
「すみません。折角、気をつかって頂いたのに」
「いや。儂こそ五月蝿く言ってすまなかったね。なににせよ、急ぎなさい。さっきから、嫌にKMFが飛んどる」
「はい。お気遣い、痛み入ります」
 ありがとうございます。
 少年は小さく頭を下げて、また手で穴を掘り始める。
 ここにきて、ようやく老人は気づいた。
 少年の傍らで横になっている少年は、もう死んでいるのだ。
 ぴくりとも動かないのが、なによりの証拠だろう。会話をしていても、目覚める気配さえなかった。
「………スコップは、いるかね」
「持っているんですか?」
 せっせと手で、固い土を掘っている少年に対して、静かな疑問を投げかける。
 肩口に振り返る少年の髪は、汗で肌に張り付いているのがわかった。
 どれだけ長い時間、こうして彼は穴を掘り続けていたのか。
「何故か荷物に入っていた気がするよ」
「それはそれは。………けれど、ご遠慮しますよ。ご老人」
「そうかね?」
「えぇ。この子には……、弟には、全部俺がしてやりたいんです」
 出来るだけ道具に頼ることなく、全部、自分で。
 弟だったのか。
 老人は思い、少年の優しさに目を細めた。
「無粋を言ったかな」
「いいえ。ありがとうございます」
 では。今度こそ、別れのために頭を互いに下げあって、向き直ることはない。
 少年は、せっせと固い土を手で掘り返すし老人は家族が爆発に巻き込まれていないことを祈りながら山を降りる。
 途中、老人は少年の細い指も、綺麗な爪も、土で汚れてボロボロだったことを思い出した。
 腕まくりをしていた肌は、老いた目にも白く。
 それが、土色に染まりきっているのはどれだけの長い間、そうしていたというのか。
 思いかけて、やめた。
 こんなことこそ、無粋だ。
 それでも、聞こえなくなるまでつむがれ続けていた声が耳を離れない。
―――ロロ、ロロ、ごめんな、ありがとう。お前は自慢の弟だから。お前の自慢の兄でいさせてくれ。なぁ、ロロ。
 なんと、仲の良い兄弟だったのだろう。
 老人は思って、少しだけ山を振り返った。
 無粋にも、KMFが空に散らばっている。
 戦争だ。呟きが、勝手に口から零れた。



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 タイトルはcari≠gariの曲から。
 明るい曲とエグい歌詞が特徴です。


君が咲く山




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