声が聞こえる。
 それは、仕合わせな平穏な笑い声で。
 声が聞こえる。
 それは、絶望さえ奪われた笑い声で。
 遠巻きに見るしか、彼は出来なかった。
 笑い声の中に、彼は入ることを赦されていない。
「もうナナリー! そんなに走っちゃダメだよ!」
 少女を追いかけようと、少年は必死で走る。
 追いついて、少女を抱きしめれば少年はきゃらきゃらと明るい声をあげて笑った。
 丁寧に指先で髪を整えてやれば、お礼を言われて嬉しそうだ。
「うん。ナナリーは女の子なんだから。もう、どうしてユフィもナナリーもこんなにお転婆なのかな」
 走り回るのが得意ではない少年は、仕方なさそうにしながらも幸福そうだった。
 紫色の瞳をこれ以上無いほどに優しく潤ませて、笑っている。
「ナナリーが元気なら、僕はそれが一番だよ」
 帝国の皇女らしくしなければならない時は、絶対に訪れて。
 だから、今はモラトリアムなのだと告げるけれど。
 妹相手に難しいかと思って、君のままなことが一番だと、髪を撫ぜた。
「あ、ジェレミア!」
 ぱ。っと顔を上げれば、そこに見慣れた衛兵を見つける。
 少女はまた元気よく走っていってしまったが、小さく引き止める声が耳に届いた。
 ならば問題ないだろう、と、先ほどまで息をきらせて追いかけていた妹を追いかけないまま先日着任した衛兵を見つめる。
「ルルーシュ様。マリアンヌ様がお呼びですよ。お茶の時間だそうです」
「ふぅん? 最近母上はお前を信用しているな」
「ならば、光栄なのですが」
「母上は、大変慎重な方でいらっしゃる。いくらシュナイゼル兄上や、クロヴィス兄上の覚えがめでたくなったとはいえ、二児を産んでいる皇妃だ。嫉妬の感情は絶えない。だからこそ、こうしてお茶を呼ぶ時は必ず御自身で参られたのに」
 今はお前を使うことのほうが、多い気がする。
 じぃ、と見つめられる視線に、ジェレミアは苦笑交じりのものを浮かべた。
「マリアンヌ様は、軍籍に身を置く者全ての憧れです」
「だから、貴族や皇族ばかりではなく軍人や庶民に媚を売っていると謗られるのだがな」
「………私がこのように伝言役を申し付かることで、ルルーシュ様やナナリー様、ひいてはマリアンヌ様の害となるようでしたら、わたくしは衛兵のみを勤めさせていただきますが……」
 言葉に、少年の顔が曇る。
 彷徨わせた視線は、ふるりと揺れる被りで定まった。
 まっすぐに、少年はジェレミアを見上げる。
「母上が信用している者に対し、疑う言葉をかけるのは非礼だな。詫びよう」
「いいえ。わたくしのことなぞ、どうぞお気になさらずにいてください。ルルーシュ殿下」
 さぁ、急ぎませんとマリアンヌ様がお待ちになられておりますよ。
 促されて、そうだったとばかりにルルーシュが走ってパラソルの下へ向かう。
 芝生の上を、転びそうになりながらも急いでいくのはもうきっと、揃っているからだろうという確信から。
「お待たせして申し訳ありません。母上、コーネリア姉上。………うん、ごめんねユフィ、ナナリー。さぁ、食べようか」
 幸福な光景が、そこにはある。
 ルルーシュの瞳には、幸福な光景が広がっている。
 実際にあったむかしばなし。
 優しい母と、腹違いとはいえ姉と、妹たちと。
 お茶をするのだ。
 けれど目の前には、カップもなにも置かれていない。
 現実には、誰もそこにはいない。
 曇った紫に、映るだけの幻想世界。
「………」
 皇帝の騎士として戦場に立つ。
 けれど任務に間があれば、必ずこのアリエスの離宮に訪れては彼を遠方から見守っていた。
 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの、皇権復帰はなされなかった。
 彼は、この世界のどこにもいないから。
 過去の夢だけを糧に、生かされているから。
「満足でしょう?」
「ロロ………」
「満足でしょう?」
「………僕は………」
「僕は、満足です。満たされないけれど、心には足りている」
 ナナリーはいない、魔女ももういない。
 彼女は今、この離宮のルルーシュ付きの女官として仕えている。
 性にあっているのか、それとも慣れか。意外なほどの手際の良さだ。
 無論、咲世子には遥か劣るが。
 唐突に並び立たれたことに対して、感想はわかなかった。
 彼がそういった能力であることは、既に報告を得て知っている。
 視線の先、ジェレミアが傍近くで守る風景から一寸たりと視線を動かさずに、ロロは口を開く。
「満足でしょう?」
 ゼロはいなくなって。
 彼はここにいて。
 皇帝からも、宰相閣下からも、覚えは良くなって。
 どこのエリアも、中華連邦も、ブリタニアに強く口を出さないほど、フレイヤの一件により暴動は沈静化されて。
 世界は静かになって。
 あなたが望んだ通りでしょう。
 声は、冷ややかだった。
「今度正式に、伯爵位を拝命するのでしたっけ?」
 問い掛けの形を保てど、さして興味がないことは明白だった。
「おめでとうございます。枢木卿」
 視界に広がる、美しい庭。
 そこでお茶を夢見る、優しい過去という檻に囚われた最悪の友達。
 彼は笑っている。
 自分は、二度と共に笑いあうことは赦されていない。
 痛みにけれど、酔いしれそうだ。



***
 スザクはSでMだと思います。
 スザクもルルも、ナルシストですよねぇ。自己陶酔が激しいタイプと申しましょうか。


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