夏の音がする。
 緑の強い木々の匂いも、蝉の鳴き声も。
 照りつける日差しも、青い青い空も。
 いつか、とった手は子供特有のもの以上に暑かった。
 枢木神社は、取り壊されていなかった。
 けれど、参拝者は誰もおらず廃れていた。
 少しだけ人の手が入ってみえるのは、ナイト・オブ・ラウンズの枢木スザクの生家だからだろうか。
 エリア11に残された神社は、数が少ない。
 他国の宗教など、侵略国家が真っ先に潰す場所である。鳥居がきれいに残されていることのほうが、奇跡だ。
 見慣れた黒い制服は、どこか違和感があった。
 当然だ。この黒色は、自分が纏うことはあっても彼が纏うことなど無きに等しかったのだから。
「―――本当に来るとは思わなかったよ」
 上がる視線が、剣呑だ。
 翡翠色は、憎悪と困惑と嫌悪を入り混じらせて、いつかきらきらと輝かせていた瞳を濁らせている。
「約束したからな。来る、って」
 破ると思ったか?
 問いかければ、答えはなかった。
 最愛の妹を彼が手にしている限り、対ルルーシュにおいてはどんなこともさせられるだろうことは、もう理解しているだろうに。
 利用しないのかと、ほんの少し、困った笑みを浮かべた。
「ナナリーを、守って欲しいって?」
 唐突に本題を切り出した男へ、ルルーシュは顔をこわばらせながら頷いた。
 緊張で、胸の鼓動がおかしくなりそうだ。
 それでも、もう、この男しかいないと思っていた。
「………随分都合が良いんだな」
「全部、わかった上だ」
「君がゼロだった」
「嗚呼」
「二度も、僕を騙した」
「そうだ」
「ユフィを殺した」
「そうだ」
「また、このエリア11を戦場にしようとしている」
「そうだ」
「そんな君が、俺にお願い?」
「―――そうだ」
 嘲る口調で冷笑を浮かべていたスザクの頬に、朱が走る。
 伸ばされた手は胸倉を掴み、引き寄せればその分抵抗もなくルルーシュは引きずられた。
「いい加減にしろ! なんで、僕が! 君の願いばかり、叶える手伝いをしてやらなきゃならない?!」
「都合が良すぎるなんて、わかってる! でも、仕方ないじゃないか! あの子はもう、自分の道を選んだ! 俺とは違う道だ、俺には守れない、あの子に俺は必要ない、そんなことは全部わかってる! それでも俺は、ナナリーを愛しているんだ!!」
 荒げられる声に、滅多にあげぬ荒い声をあげる。
 蝉がどこかで、死んだ。
「ユフィを殺したくせに! 殺したくせに、殺したくせに!! そんな君が、誰かを守りたいなんて言うのか?! エリア11で、中華連邦で、多くの人間を殺したゼロが!!」
 糾弾の声は、激しい。
 ルルーシュは否定をしない。たった、一言だって。
「ナナリーを愛しているなら、どうしてユフィを殺した! そのギアスで! あんな酷い真似をさせた! そうしなければ、自分の居場所が崩れると思ったからか?! そんなことのために、お前はユフィを………!」
「俺は………ユフィを利用した。彼女を殺した、彼女のきれいな心を、俺は一番最悪な手段で踏みにじった。全部、わかってる」
 なかったことになんて、出来ない。
 けれど、投げ出すことも出来ない。
 ゼロでいる限り、虐殺皇女、血塗れのユーフェミアの一件はどこまでもついて回っている。
 贖罪のためと言って、死へ走ることも出来ない。
 最早、真実を知るものは誰もいなくなったとわかっていても。
 復讐のためだけには、ルルーシュは生きられない。
 そうと思えば、スザクがどこか羨ましくさえ思えた。ゼロは、組織の長に等しいCEOであり、今後何千万、何億と膨れ上がる人民の先導者でなければならない。
 たったひとつだけを追い求めて生きる道は、永劫断たれてしまっている。自らで断ったのだ。
 静かに一言たりと否定をしないルルーシュに、ついにスザクが突き飛ばす。
 受身も取れず、突き飛ばされた勢いのまま後方に飛んだ。
 立ち上がりもせず、擦り剥いた様子の場所を撫ぜながら紫水晶の瞳を伏せがちにして言葉がつむがれる。
「全部、わかっている。お前に、殺されてやることも出来ない、ブリタニアに売られてやることも、もう出来ない。……まぁ、皇帝はもう俺なんていらないだろうがな」
 C.C.はもう、魔女でもなんでもない。
 虚ろに嗤えば、怪訝な表情が視線の端。
 だが、返す言葉もなく、緩くかぶりを振った。
「黒の騎士団を解体することも出来ない、大体、総司令は星刻だしな。俺にはそこまでの権力なんて、無い。俺は経営サイドのバックアップだ。事務総長も、俺じゃない。エリア11の奪還は、俺の意思だけじゃない。黒の騎士団、日本から亡命してきた日本人全員の悲願だ」
「今のエリア11に、今更日本を求めるイレブンはいないよ」
「日本人は、全員黒の騎士団として連れて行ってしまったからな。だが、自分が住んでいた場所は取り戻したいだろう」
「君も、黒の騎士団も、おかしい。どうして中から変えていこうとしないんだ、いつかは、変えられるかもしれないのに」
「いつか、とか、かもしれない、とか、そういう夢を見られるほど、現実は安くない。それだけ逼迫してる、ってことだ。気づかなかったのか、お前」
「矯正エリアに格下げさせた張本人の台詞とは、思えないね」
 侮蔑の表情に、まったくだ、と、呟く声に覇気は無い。
「スザク」
「………」
「ユフィは、虐殺なんて望んでいなかった。ナナリーも、この地が戦場になることなんて望んでいないだろう。全部、わかっている。わかった上で、けれど俺はこの道をとった」
 愛するものと敵対する道を。
 愛するものを利用する道を。
「守ってくれ………、お願い、します………。まもって、くだ………さい」
 居住まいを直したルルーシュがとった言動に、思わずスザクは目を見張った。
 彼のプライドは、一級品だ。
 いつだって毅然と顔を上げ、どれだけ悲しくとも涙を流さず、美しく笑い、瞳を輝かせ知略を巡らせる。
 自信と自負に裏打ちされた矜持、それがルルーシュという人間の芯であったはずだ。
 目の前の光景が信じられない。
 彼が、手をついて、頭を下げるなんて。
「やめろ………」
 喘ぐたびに肺腑に落ちる夏の空気が、熱い。
 口を動かしても、答えにならない。
「やめろ………、やめろ……、やめろやめろやめろやめろ! どうして! どうして君が、お前が、どうして!!」
「だって本当に、俺にはなにもないんだ。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの存在を、誰も知らない。けれど俺にはユフィのように皇位継承権なんてないから、それを捨ててお前に助けを求めることは出来ない。ゼロは、日本人の希望であり記号。俺でなくとも、ゼロは日本人に多くいる。超合衆国連合のCEOは俺が踊るゼロだが、ゼロという記号はナナリーとは無関係だ。意味は無い。……ルルーシュ・ランペルージは、もっと無関係だ。なにせ一般の学生と皇族だからな」
 ただのルルーシュが。
 ナナリーの兄である、ルルーシュが差し出せるものなんてなにもない。
 地面へと額づきながら、紡がれる言葉は静かだった。
「だからって、君が………!」
「守って、ください……、おねがい、します………。エリア11と呼ばれて、名前を奪われた日本を。ナナリーを、美しいユフィの魂を」
 お前の心には、虐殺皇女なんていうものではなく。
 ユーフェミア・リ・ブリタニアの笑顔と魂が、いるのだから。
 その魂も、含めて。
 守ってくれと、願う様は正しく懇願。
「土下座なんかで、許されるなんて思ってない。でも、俺に出来る精一杯はこれなんだ」
 金銭で守ってくれなんて、言えない。そんな利害で、彼女を守られるわけにはいかない。
 与えられる物資は無い。ナイト・オブ・セブンと一般人では得られる物に天と地ほどの差がある。
 渡せる物は、この命か矜持くらいだから。
 だから。
「お前しかいないんだ、スザク………ッ!」
 血を吐く声音で、ルルーシュは動かずに乞うたまま。
 どこかで蝉が、また一匹死んだ。
 七年の地中から這い出て、必死で啼いている。
 必死で泣いていた蝉の、声が五月蝿くて仕方ない。



***
 ルルーシュの「おねがいします」で、スザルル愛無し鬼畜陵辱系エロに走りかけて全力で踏みとどまりました。
 実はルルーシュに靴(無論土足)をなめさせるシーンもあったなんてそんなry


蝉の一生



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