蓬莱島、現在その名を日本と変えているこの地に現れた招かざる客人の存在は、場を一気に殺気立たせた。 本来であれば戦艦アヴァロンか政庁か、さもなくば本国の城でなければその顔を拝することさえ出来ぬ男の名をシュナイゼルといった。 シュナイゼル・エル・ブリタニア。 ブリタニア臣民だけではなく、植民エリアや敵対するEU、中華連邦でさえその名はあまりにも有名なものだった。 神聖ブリタニア帝国第二皇子にして、帝国宰相。 優れすぎた軍略の手腕もさることながら、政治方面の能力も秀でている。 次代皇帝に最も近しい人物であることは、間違いようのない人物である。 オデュッセウスの温厚さとはまた違った人柄で、柔らかに微笑む姿はメディアにもよく流れていた。 この場の誰もが、知らぬはずはない人物。 この場にいるのが、誰よりも似合わない人物は。 タラップより降りて、何事もなさろうな笑顔であっさり言い放った。 「やぁ。チェスの続きをしに来たよ」 背後には副官のカノン、そして、何故だかナイト・オブ・スリーのジノ・ヴァインベルグを連れて。 男は蓬莱島に降り立ったのだ。 騒然となるイカルガ内であったが、ゼロに魔女、そして神楽耶に藤堂は流石というべきか狼狽する素振りを見せはしなかった。 ジェレミアと魔女に一応自室から出るなとだけ言いつけて、黒の騎士団首領は焦る素振りもなく悠然と歩いていく。 慌てる幹部達を叱咤しつつ、通すのが客人を対応するにしては少々質素な一室だ。 背後にジノとカノンを連れる男の前で、藤堂と扇がそれぞれ立つ。 にこやかな笑顔の前に座るゼロの表情は、生憎仮面でわからない。 「やぁ。久しぶりだね、ゼロ」 腰掛けるのとほぼ同時に、言うのが笑顔のシュナイゼルだ。 まるで肩から息を抜くような素振りをして、ゼロは口を開いた。 「お久しぶりです、シュナイゼル殿下。このように非公式な会見をするということは、伺っておりませんでしたが?」 「アポイント無しで会えて、嬉しいよ。地位の賜物かな?」 だとするならば、この地位もなかなかに便利なものだ。 帝国第二位の権力者がのうのうと言ってのければ、カノンとジノ両名が忍びやかに笑う。 実際、振るえる権力が大きければ大きいほど柵が生まれ望むままに動けなくなることを知っているのだろう。 ゼロ、否、ルルーシュも、そういった束縛を知っているだけに、あえて言葉尻を捕らえるような真似はしなかった。 「それで。私に一体、なんの御用かな」 「おや。言ったはずだよ。チェスの続きをしに来た、とね」 中華連邦では、有耶無耶のうちに終わってしまったから。 言って肩口に少しばかり示せば、カノンが小脇に抱えていたチェスボードを開いた。 駒は象牙と黒檀。 一級品なのだと、眼を肥やす機会にあまり恵まれなかった扇でさえわかる。 「棋譜は覚えているね」 「えぇ。ですが、あのまま続ける気ですか」 「私の王は、取られていない」 ゲームは続いている。 言えば、ゼロは舌打ちでもしそうなほどに露骨な嫌悪の感情を身から滲ませた。 「あなたがそこまで執着するような、ゲームでしたか」 「無論。君の顔が拝めるというのであれば、私は何度でも君と対戦しに来るよ」 「では、私の報酬を変えましょう。あの場では枢木スザクを、と望みましたが、この場に彼はいないようだ」 「ほう? そう言うと思って、ジノを連れて来たのだが」 「ジノ・ヴァインベルグ卿。ナイト・オブ・スリーの人間が、何故あなたの後ろに控えることを良しとしているのか。それは、今は聞かないことにしますよ」 「ありがとう。それでは、君の報酬はどうしようかな?」 「私が勝てば、二度とこの地を訪れない。ということを」 「おやおや。手厳しいね―――ゼロ。だが、いいだろう。私の報酬は、変わらない」 「私の素顔ですか」 「そう。この場にいる者だけに、留めておいてあげよう」 黒の騎士団内に関わらず、既にゼロという存在はただの記号にまで貶められている。 その中にいる人間になど用は無い、ただ、ゼロが起こす事実と奇跡だけが求められている。 理解しているが故の発言だと、気付いたのだろう。 ルルーシュは不快な感情を隠しもせず、平坦で感情の伴わない声のまま短い礼を告げた。 無言で並べられていったのは、あの日の盤上と同じ駒の配置。 まさかこんなところまで来て駒をずらすなどのルール違反はしないだろうと思っていたが、そうする気配もなく並べ終わられてしまった。 手は、圧倒的に黒が有利であり不利。 差し出すような首の王に、一歩引くしか出来なかった駒。 「君からだ」 ルルーシュは、ポーンを手にする。 だが、彼とてもわかっていた。 この勝負は、既についている。 拾えと投げ捨てられたかのような、勝利を拒否した時から。 与えられる屈辱を、拒んだ時から。 予測は既に現実のものとなり、数手合わせただけであっさりチェックを言い放ったのはシュナイゼルだった。 元より動かせる駒は互いに少ない、戦略の幅が狭まっていた。 引き伸ばせただけ、良いだろう。 「私の負けだ」 「随分とあっさり認めるものだ」 まだ、生かしきれていない駒はいくつかあるよ? にこやかな言葉であったが、それでも勝利を確信しているのは明白。 「これ以上はただの消耗戦にもなりません。駒を無意味に殺すな、それは、あなたの教えではありませんでしたか。―――シュナイゼル兄上」 言いながら、外すのが黒の仮面。 ぴったりと後頭部さえ覆うそれが外れて、零れるのが艶やかな漆黒。 フェイスマスクを口元から下ろせば、皮肉げな口元が晒された。 「先輩?!」 沈黙を守り抜いていたジノが、慌てた声を上げる。 身を乗り出さんばかりの彼へ、カノンが慌てて後ろ頭引っ叩いた。 「申し訳ありません、ルルーシュ殿下」 「殿下?!」 今度は、背後から扇が驚きの声をあげる。 藤堂の呻く声にも振り返らず、傍らへ仮面を置くとルルーシュは足を組みなおした。 「こうして直接お顔を拝すのは酷くお久しぶりですね。シュナイゼル兄上」 「あぁ、仮面越しの再会から日をおかず、お前の顔を見られたことを嬉しく思うよ」 表面上ひどく穏やかな会話であったが、その実背筋を通すのは冷たい汗である。 なにせ目の前の男は、母の死の真実に一番近い男。 母の遺体をどこかへ運んだという男。 彼をこの場に留めるためならば、正体を露見させることなど如何ほどのものでもない。 最悪、ギアスでこの場にいる全員黙らせれば済む話である。 「コゥが、本国から消える前に零していたのは正解だったね」 「コーネリア姉上が、なんと?」 「皇族にひどく恨みを持っていて、皇帝陛下に対しても恨みを向けているブリタニア人。恐らく、皇族に近しい人間だろう、と」 お前のそれは、ブリタニアという国家を敵と唱えておきながら、その実ブリタニアの体制に対して批判的だったから。 言われて、まぁ察せられるのも仕方あるまいと首を縦にした。 「え、あれ、マジで先輩?」 「なんだ、ジノ。俺の母の名を知らなかったのか?」 「ルルーシュ殿下のお母様の名前は、閃光のマリアンヌ様よ。アンタ本当に知らないんじゃないでしょうね」 「まさか。マリアンヌ様を知らないKMF乗りがいたら、そっちのがおかしい。私が言っているのは、そうじゃなくて。だって、ランペルージ………」 「ちょっとジノ。マリアンヌ様は、元の姓がランペルージと仰るのよ。知らなかったの」 「……仕方ないさ、カノン。マリアンヌ様は、騎士候となられその二つ名のほうが有名だったからね」 背後で交わされる会話が可笑しくて仕方なかったのだろう、振り仰ぐようにして言われた言葉に、二人は直立不動に戻った。 「それより、私はアンタの言う先輩のほうが気になるんだけど。どういうこと? アンタ、枢木スザクの監視でアッシュフォード学園にいたんでしょう?」 「だから、その学園の先輩。副会長」 「なんでそれを報告しないのよアンタわ!!」 怒るカノンに、楽しげなシュナイゼル。 呆気に取られた扇と、憮然としたままの藤堂とは別に、ルルーシュはため息をついた。 「アッシュフォード学園に、ずっと私がいるとは思っていなかったのでしょう。まさか、皇帝の家畜に成り下がったまま私が大人しくしているとは思わないでしょうし」 「大体、あそこは機情の作戦区域だから私が報告出来ることは限られている」 皇帝直下の部下であるとはいえ、真実はシュナイゼルの手駒というのが正しいところだろうことは、このやりとりでよくよく理解出来た。 ナイト・オブ・スリーが帝国の中で絶大な権力を保有するとはいえ、機密情報局はまた一線を画した存在である。 彼らの作戦区域においては、ナイト・オブ・ラウンズであろうと許可が無い限り勝手な振る舞いは赦されない。 フォローのように続けられた言葉に、カノンは憮然としながらも一応の納得を見せて黙り込んだ。 「それで? 私と知れたら、あなたは報告なさいますか。皇帝に」 「どうして貰いたい?」 「場合によっては、殺します」 「クロヴィスや、ユフィを殺したようにかい。ルルーシュ」 「えぇ。加害者の言い訳であろうと、俺にはやるべきことがある。そのためには、踏み拉いてでも進んでみせましょう。あなたの屍も、ジノ、お前の屍も、カノン・マルディーニ卿、貴公の屍も。私は、踏み拉き、踏み越えて、進んでみせる」 剣呑な紫電の瞳に、ジノとカノンが険しい顔を浮かべ一瞬で戦闘態勢をとった。 場を分かつのは簡素なテーブルのみ。 藤堂はともかく、カノンとて列記としたシュナイゼルの副官に名を恥じぬ人物であるし、ナイト・オブ・スリーの真価がKMF戦闘とはいえ白兵戦に無能なはずもない。 わかった上での挑発は、けれどあっさり義兄により無に帰された。 「なにを以って、なにをして、ユフィにあんなことをさせたのか、私には理解出来ない。だが、それが望んでいたわけではないことくらいは、理解出来る」 あまり露悪的になるものではない、と。 薄い笑みのまま言ってくる義兄に対し、ルルーシュは今度こそうろたえた。 「コゥも、ユフィの汚名を雪ぐために全力を尽くしている。ゼロのせいにしない理由は、なんだと思う?」 「………コーネリア姉上も、私の正体に気付いたということですか」 「確信は持っていないだろう。だが、勘付いてはいるはずだよ」 アレも勘は良いほうだから。 シュナイゼルは、手を組みなおした。 「私はね、ルルーシュ。君にある提案をしに来た」 「提案? 帝国最強の騎士を連れ、技術力もトップクラスのものを誇り、現皇帝が死ねば自動的に皇帝の座に座ることを約束されているあなたが、一体ゼロになんの用だというのです」 中華連邦への示威行為は、黒の騎士団の手により実際半分も進んでいないのだからそれを引かせることか。 それとも、EU連合の領土半分以上を手にしたとはいえ反対勢力が強いかの国達と中華連邦を結びつかせないためか。 兎に角、ブリタニアの国益となるものに協力する気は無い。 緩く被りを振れば、違うと苦笑が返され―――彼から、笑みが消えた。 「私はね。もう、嫌なんだ。この争いばかりの世界が」 だから。 「ブリタニア帝国を討つ。私と手を組まないか、ゼロ」 *** だ、だってもう誰もルルーシュから奪われたくないんですも………! ジノがいるのはアレです。「先輩?!」ってやりたかっただけです。 ひとが選ぶのはいつだって魔の側だと思います。人間そうそう聖性を選べないと思う。(元の本質が聖に近いひとは別として、 |