女はなにも言わなかった。
 ただ、吠え掛かる男と困惑の少年。
 そして、言葉のない共犯者をそれぞれ見やり。
 切なそうに、笑った。
 魔女が室内に入った途端、それまで静かだった機器が一斉に起きだす。
 床に浮かび上がる真紅の鳥に似た紋章に、足場が崩れるのかと過去を思い返し危機感を抱いたルルーシュであったが、そうはならなかった。
 代わりに、ポッドの中の空気がほんの少し密度を増す。
―――おかえりなさい。
 声は、室内の全体から聞こえていた。
 ラボが声を発しているといわれても、きっと今の彼らならば信じただろう。
 やさしく、深い愛の声音に、耐え切れずルルーシュは膝から崩れ落ちた。
 支えようとしたジェレミアとロロを、C.C.がちらと見やり。
 首を動かして、彼女へと笑いかけた。
「―――嗚呼。戻ってきたよ、マリアンヌ」
 マリアンヌ。
 旧姓をランペルージといい、騎士候から勲功をあげ后妃にと求められた近代史に名を残すほど優秀な軍人。
 閃光の二つ名を持ち、現在の軍内部でも高い支持を持つ彼女は、正真正銘ルルーシュの実母である。
「C.C.……。お前、お前は………!」
 知っていたのか、なにもかもを。
 母の死の真相を探していた俺に、何も言わず。
 こんな状態の母を、放置して。
 お前は、お前は、お前は………!!
 喉まで出掛かる怨嗟にも、魔女は笑っていた。
 責められるべきは己だと、わかっているように。悟っているように。
 止めたのは、他でもない。
 マリアンヌの、優しく威厳に溢れた声だった。
―――大きくなったのね。
 そんな一言で、悲しいくらい、かわいそうなくらい、狼狽を表すルルーシュが、掴んでいたC.C.の手を離す。
 室内の、どこからともなく聞こえるそれに、きょろきょろと視線を飛ばすのは迷子の子供じみた表情だ。
「知っていただろう? お前なら、そこから見えるんだ」
「どういうことだ……」
 疲労を隠しもしない共犯者を一度見つめ、それからマリアンヌの生体ポッドを見やる。
 溶液に浸された彼女はなにも反応を示さなかったが、それでも通じるなにかはあるようで。
 二、三うなずくと、彼女は厳かともとれる様子で口を開いた。
「ここから、世界を見渡せるということさ。もっとも、私という中継点がいることが前提だがね」
 いうなれば、自身はカメラと送信機の役割。
 マリアンヌは受信機とテレビの役割とでも、言うべきか。
 送受信は、どちらも互いに行える。V.V.も同じことが出来る。
 言えば、だからナナリーのことが、と、合点のいくようにふらふらとルルーシュは頷いた。
「約束は果たしたぞ」
―――えぇ。ありがとう。
 こぽり。
 生体ポッドの中で、彼女が微笑んだ気がする。
「説明しろ。C.C.これは一体………。母さんは、死んだんじゃなかったのか」
「死んでいるさ。正真正銘、な」
「だが、この声は!」
―――ルルーシュ。
「………っ! 俺は!」
 あなたが、どうして殺されなければいけなかったのか。わからなくて。
 ナナリーが、どうしてあんなことにならなければいけなかったのか。わからなくて。
 守ってくれなかった皇帝が憎くて。
 守ってくれなかった世界が憎くて。
 あきらめて、諦めきれなくて。
「俺は、母さん、貴女が………!」
 どうして、奪われなければいけなかったのか。本当に、わからなくて。
 ほんとうに、かなしくて。
 かなしくて。
 震える声で言い募れば募るほどに、感情はあふれ出して制御が利かなくなっていく。
 赤い瞳から流れ落ちるのは、透明な涙。
―――ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 繰り返す、慈愛に満ちた声にルルーシュは強く被りを振った。
 違う、母が謝らねばならぬことなど、何もない。
 言葉を失くしたルルーシュを気遣いながらも、気にしないではいられないのは明白で。
 そっと肩を支えながら、溶液に浮かぶように瞳を伏せる彼女へジェレミアもまた、視線をやった。
 零れ落ちるようにかの名前を呼ぶのは、どうしたって仕方のないことだろう。
「マリアンヌ后妃様……」
―――お久しぶりね。ジェレミア卿。
「………! お、おおお、お守り、すること、適わず………!!」
―――卿が悔いることは、なにもありません。今、この子の力となって傍にいてくれているだけで、その忠節。わたしには痛いほど心に感じています。
「マリアンヌ様………!」
 ただこの場にいて、ロロだけが。
 本当の母でもない女性の存在に、居心地を悪くしていたけれど。
 それでも、ふと声をかけられれば無視出来ぬのか、薄い紫の瞳をマリアンヌへ向けた。
―――ありがとう。
「え……」
―――私の二人目の、息子になってくれて。
 家族になってくれて。
 言葉に、びくりと震えて彼もまた、どうして良いのかわからない表情を浮かべる。
 三者三様の混乱に、魔女だけが悲しそうに笑っていた。
「やくそくをはたそう。マリアンヌ」
―――えぇ。お願いね。
 緑髪が、どこからか吹きこんできた風にふわりと舞った。
 向ける銃口が、明らかにこのポッドを管理している周辺機器。
「C.C.! 何を………!」
「約束を果たすんだよ。どけ、ルルーシュ」
「ふざけるな! そんなことをしたら、母さんが!」
「マリアンヌはもう死んでいる!!」
 足を縺れさせながら食ってかかろうとしたルルーシュに、けれどそれ以上に強い言葉で彼女は共犯者を黙らせた。
 金色の瞳に睨み付けられ、その場に縫いとめられる。
「ッ! ロロ!」
「無駄だ。私にギアスは効かない。それは、お前がよく知っていることだろう」
 オレンジの能力は、ギアスの解除・無効化。
 そうとなれば、私を止められはしない。
「そこにいるのはな。ただの骸だ。ただ、魂だけがバックアップに残され、Cの世界とこちらを繋ぐのはこの機械か私やV.V.のような存在のみ」
「なにを知っているんですか。C.C.。あなたは」
 果たして、世界の誰とも自らの意思では触れ合えない孤独な存在を。
 生きていると言って、良いものか。
 いっそ空ろな笑いさえ浮かべる女に、向き合ったのはロロだった。
 暗殺者として感情を出さない顔とは別の、覚悟を決めた面を浮かべて魔女に向かう。
 冷えた声音に、疲れた顔を向ける魔女はけれど腕を下げないままだ。
「全ては知らない。だが、お前たちよりは知っている」
「もう、全部言ったらどうです。いい加減」
「つまらない話さ。全てがはじまるには遅すぎて、全てが終わるには惨過ぎた。本当に、それだけのつまらない話」
 かくて、語られるのは魔女の物語。
 登場人物は少ない。
 魔女と、女と、双子の兄弟。
 そこからはじまった、あまりにも無価値な話。



***
 ………中の語りはすっ飛ばす予定です。確実に明日で完結させないとどうしようもry
 あと一話の予定なんです……。前・中・後編のつもりだったんです……。


地獄の頂




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