会話を切り出したのは、ローマイヤーの咳払いだった。
 この場にいるのも忌々しいという彼女の態度は、カレンが見るよりも余程ナナリーの精神に障ることだろう。
 ルルーシュが近くにいれば、絶対に近づけないタイプだ。
 神経質そうで、キンキンとやかましそうで、礼儀にうるさく自身の保身が強く権威的。
 そういう人間がごまんといたシュタットフェルト家と、その周囲を知るだけにカレンはよくよくナナリーに同情する。
 彼女は、真綿のような羽毛のような優しさで包まれ愛されていたから。
 もしかすれば、もう慣れたかもしれないが。
 それでも彼女にこの女性は、毒でしかないだろう。
 もう一度内心で嘆息をつく。会話は、カレンからにした。
「げんき? って、私が聞くことじゃないかな」
 総督だもんね。言えば、そんなことありません! と、言下の否定。
 薄い花色のドレスは彼女に似合っている。
 強いていうなら、諸所見える露出がルルーシュは絶対に気に食わないだろう。かわいい妹の柔肌を見せるなど、バカ兄として断固反対のはずだ。
 水着ですら、実はナナリー(というより、あれだけ美女が揃い踏んでいたのだ。ナナリーだけが注目されていたわけではないことを、わからないわけでもあるまいに。あの馬鹿男。)を見たXY染色体を持つ人間を根こそぎ殺そうとしていたというのだから腹を抱えて笑うを通り越し、大虐殺が行われなくて良かったとほっとする。
 当時の自身は知らなかったが、彼の能力を知っている今だからわかる。
 やろうと思えば、出来たに違いない。そしてやりかけたに違いない。やらなかったのは偏に、ナナリーが傍にいたからだ。
 彼女に断末魔などというものを聞かせたくなく、そして一度帰った後では特定が難しいから大量虐殺は免れたのだ。
 なんというシスコンだろう。
「あの、カレンさん。カレンさんは、本当に……」
「えぇ。黒の騎士団よ。あなたにも銃を向けたこと、あったでしょう?」
「いいえ」
「え?」
「あの時、私たちを拘束していたのは、カレンさんではありません。ほかの方です」
「それでも。そうする、というゼロの意思を、私は止めなかったわ。とめなかった時点で、同罪よ。私は、あなたを害そうとした。事実は変わらないわ、ナナリー」
 総督を名前で呼び捨てるなどと、と、ローマイヤーが目を吊り上げたがカレンは構わなかった。
 彼女が「ナナリー・ランペルージ」として接してくる限り、カレンはカレンとして接する。
 紅月カレンは、ブリタニアの敵だ。それでも、同時にナナリーの兄のクラスメイトであり、彼女と共に話す人間の一人なのだ。
「カレンさんに、お聞きしたいことがあります」
「なにかしら? ブリタニアが反発される理由でも、知りたい?」
「―――いいえ。残念ながら、それをされても仕方が無いほど、ブリタニアの国是は強く、厳しいですから」
「ナナリー総督」
「すみません、ローマイヤーさん。けれど、選民思考だけで世界を捉えるほど、愚かなことはないでしょう? あなたも、貴族とはいえ一ブリタニア人に過ぎません」
 非難のようにかかる声にやんわりとした、謝罪を口にするけれど。言外に、皇族の自分と肩を並べるつもりかという問いかけが、逆にされた。
 わからないほど愚かではなかったのか、彼女は口を閉ざす。
「ひとつ、お聞きしたいことがあったんです」
「なぁに? わかることなら、言えるわよ。ゼロの素顔とかは、悪いけど見逃してね」
「はい。それは。いつかテーブルを同じくした時に、伺うつもりですから。………お兄様の、ことを」
「………ルルーシュ? そういえば、アイツ傍にいないのね。ナナリーが総督ってことは、副総督になるのかとも思ってたんだけど」
 自身のうそを白々しく思いながら、それでもカレンは真実を口にする気はなかった。
 ナナリーがゼロを否定したというのなら、それは彼女の本心であり決心だ。
 今、牛歩以下の速さだが特区は動き出している。
 そんなところへ、ゼロと敵対を自ら選んだなどという不安定にさせる要因を与えたくは無かった。
「カレンさんも、ご存知ありませんか……」
「ごめんなさい。ってことは、行方不明? どこ行ってるのかしら、ルルーシュのやつ」
「………蓬莱島、かもしれません」
「日本に?」
「お兄様は、ブリタニアのやり方を快く思われていませんから」
 現在形のあたり、流石彼女は彼の妹だと理解する。
 快く思わないでゼロをやっているとは、だからといって言わないが。
「あの、日本に、蓬莱島には、ブリタニア人はあまりいらっしゃいませんよね?」
「そうね、少ないと思うわ。ブリタニアにいる限り、特権階級だもの」
「………探すことは、難しいでしょうか」
「ルルーシュを?」
「はい。わたしは、総督という地位に二つの願いを託しました。ひとつは、日本の沈静化。これは、ゼロが協力してくれたこともあり一先ず幸先はよく動いています」
「……驚き。ナナリー、あれを協力って思ってくれるんだ」
「暴動を起こす気のない彼らに、危害を加えかけたのは此方だと聞き及んでいます。ゼロは、それを煽り蜂起することも出来たはず。けれどなにもせず、中華連邦へ渡っていかれたということですから」
 協力、してくださったということでしょう。
 静かに被りを振る彼女に、兄が兄なら妹も冷静な判断でいるものだと舌を巻く。
「もうひとつが、ルルーシュの捜索?」
「はい。お兄様のことですから、私が皇族に復帰したとなれば必ずなんらかのアクションを起こされると思ったのですが……」
 起こしたわよ。誰もフロートシステムなんてついてないのに、洋上で超近接奇襲攻撃なんて無茶な真似を命令してきてくれやがったわよ。
 思ったが、やはり言わない。
「連絡取れないんだ」
「えぇ。サッポロからキュウシュウまで、一通りの病院には連絡を入れましたが該当者は見当たりませんでした」
「スザクは協力してくれないの?」
「スザクさんは………」
「友達なんでしょ、あの二人」
 撃ったけど。売ったけど。
 常日頃、友達だと言い合っていた姿しか、ナナリーは知らないはずだ。
 それを言えば、躊躇うように口を閉ざした。触れてはならぬものだったらしい。
「お兄様に」
「え?」
「お兄様に、この世界は狭すぎるんでしょうか。この国は」
「………ナナリー?」
「お兄様には、総督となって政務をなんとかこなす姿だけではやはり見劣りしてしまうのでしょうか。お兄様に比べたら、私の執務など全然で……。満足のいかぬものだから、お兄様はいらして下さらないのでしょうか」
「ちょ、ナナリー?! あの、ルルーシュよ?! そんなこと」
「だって、現にお兄様はわたくしの傍にいてくださらない!! お母様が殺された時も、病院で目が覚めたときも、日本に送られてからも、アッシュフォード家に保護された時も、お兄様と私は片時も離れなかったのに! ずっと一緒だったのに、どうして!! どうしてナナリーの傍にいてくださらないのですか! お兄様!!」
 不安定な要因を省こうとして、ゼロの正体を欠片も語るつもりはなかった。
 けれどもう、ナナリーは不安定どころの話ではなかったことを思い知る。
 きっと、蓬莱島を詳しく知る自分が最後の寄る辺だったのだろう。日本にいないなら、蓬莱島。と思ったのかもしれない。
「ずっと傍にいてくださるのに! ずっと傍にいてくださったのに!! ナナリーはそんなに重荷でしたか、お兄様!!」
 頭を抱えて悲鳴をあげる彼女を、抱きしめてやれるなら今すぐしている。
 けれど現実は彼女の手を後ろ手に組ませて拘束していたし、ローマイヤーの冷たい目が光っている。
「特区日本だけでは、だめなのかしら」
 憔悴しきった声が、ぽつりと落ちた。
「ナナリー………?」
「日本も全部、平和にしたら。お兄様はわたくしのもとへ帰ってきてくださるんでしょうか」
「ナナリー、ルルーシュにだって、事情があるのかもしれないわ。だって、」
「だってわたしを愛してる、って、言ってくださいました! 事情があるって、その事情って、それはわたしよりも大事なものですか?! お兄様と一緒にいたこの十年以上の歳月よりも重いものなのですか?! それにわたしは入っていないのですか?!」
 顔を上げたナナリーの面は、閉ざしたままだ。
 彼女の心の時間は、止まっている。
 動き出しているようで、強くなっているようで、その根本にはルルーシュがいる。
 強さも、行動力も、恐らく源泉はルルーシュだ。
 ナナリーに対しルルーシュが盲目であったように、ルルーシュのことに関してはナナリーはなにも見えていないのではないか。
「へいわなせかいに、します。今にきっと、ゼロの方法ではなく。スザクさんのような、ナイト・オブ・ワンになる道をわたしは取れない。だから、」
 わたしはわたしのやりかたで、やさしいせかいに。
 へいわなせかいに。
「そうしたら、きっと日本人のみなさんはわらってくださいますよね。お兄様も、かえってきてくださいますよね」
 ふわりと、花のように笑う。
 見知った少女は、ちょっとドレスアップしているけれど、それ以外はなにも変わらないと思った。
 断行政治に打ち出すわけでもなく、名誉ブリタニア人と特区日本への参加を躊躇ったイレブンへの人権の保護を動き、その上で軍人と遺族に対して基金を募り委員会を設置し。
 彼女の行う政治は途方もなく甘いが、ブリタニア人が今までしてきたそれとは比べ物にならないほどの優しさがある。
 だが、今、思い知った。
 根幹が揺らげば、この優しさは瓦解する。
 ゼロの正体を、絶対に告げてはならないとカレンは息を呑んだ。
 慈愛の姫君とは、ユーフェミアを謳ったことだった。
 ならば、ナナリーは慈愛の魔女だ。
 彼女の魔法で、ひとびとは仕合せになるだろう。へいわで優しい世界も、出来るだろう。
 けれど、本当はその魔法で泣いたひとがいると知ったら。
 そのやさしい魔法は、最愛の魔王を涙させると知ったら。
 ナナリーは、魔法を解くだろう。それがどれだけの嘆きを生むか、わかっていても。
 特区日本。優しい魔女が作った、魔王を守るための檻。
 花のような笑みの同意に、カレンはうなずくことも出来ず鉛を飲み込む気分で唾液を嚥下した。
 乾いて引きつった喉が痛い。



***
 某雑誌インタヴューにて「厳しい言い方になるが、ルルーシュはナナリーの人格を無視していた」と監督がはっきり仰られていたので、ナナリーにもルルの人格無視させてみた。
 日本人のための行政特区日本、も、彼女の本心です。(念のため。


檻の色




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