悪夢が、駆け足でやってくることはない。
 足音を立てる、こともない。
 ただ悪夢は、やってくるのだ。
 急ぐ必要は無い、迫る必要は無い。
 何故ならば逃げられぬのだから。
 急ぐ必要は無い、追う必要は無い。
 獲物は、ただそこに縫いとめられているのだから。
 悪夢が駆け足でやってくることはない。
 どれだけ逃げようとしても。
 どれだけ震える足を、叱咤しようとしても。
 逃げられない。

 そうして突きつけられる悪夢の名前を、過去という。

 跳ね起きて、ルルーシュは荒い鼓動を無理やり抑えこもうと胸倉をきつく掴んだ。
 耳奥にまで跳ねる音が、煩わしくて仕方が無い。
 吐き気さえ催すようになって、掴んでいた手とは反対の手を口元へやった。
 ぐっしょりとかいた汗が、身体を冷やしていくのを止められない。
 喉が何事か震わせようとするも、結局言葉にはならなかった。
 飲み込むことも出来ずに、絶息する。
 押さえ込もう、抑え込もうとしても、"彼"は今でもこうして縛りつけてくる。
 嗚呼、どれほどの悪夢か。
 "彼"もまた、ユーフェミアの死をこうして夢に見るのだろうか。
 守れない少女。
 目の前で撃ち殺された少女。
 虐殺に身を染めた少女。
 なるほど、確かに悪夢でしかない。
「………お水」
「嗚呼………ッ?!」
 差し出されたコップに手を伸ばしかけ、動きが止まる。
 弾かれるように顔を上げれば、赤い瞳を瞬かせる少女の姿。
「ナイト・オブ・シックス………ッ!」
「………」
 しまった、素顔を。
 息を呑み、無意味とわかっていても彼は片手で顔を隠した。
 暗がりとはいえ、所詮夜と閉塞が作り出す闇である。
 眼が慣れてしまえば、大方の造作を取るなどたやすいはずだ。
「………あなた」
「?!」
「………、そう。ナナリー皇女殿下と、一緒にいるの」
 一頻りうなずいて、水をここに置いておくと数歩離れたテーブルに置く。
 水差しらしきものが見えれば、そこからなにかを取り上げる。小さな影でよく見えないが、おそらく携帯電話だろう。
「……私の素顔を見たのか、尋ねても?」
「見えた、見た。魘されてたけど」
「………」
 大丈夫かと、問いかけることがないのが彼女らしいといえばそうだろう。
 興味の有無など悟らせぬまま、エア・ドアに近づいていく。
 背中へ、制止の声をかけたのはルルーシュのほうであった。
 この暗さでは、はっきりと視線が通るかわからないからギアスは使えない。
 となれば、彼女へは口を封じる確約をさせなければならない。
 取引材料はいくらでもある。
「………私の」
「あなたのことは、言わない」
「なに―――?」
「魘されていた時のあなたも、すごい綺麗。いい記憶をくれた、お礼」
「………」
 それは、寝顔を撮られたということだろうか。
 思えば、もっと冷静ではいられない。やはり携帯は取り上げるべきだったか、今更思っても遅い。
 画像がスザクにでも送られてしまえば、確実に今度はアッシュフォードを人質に取られるだろう。ルルーシュがスザクの弱点、譲れぬところ、諸々のものを知っているように、スザクとてルルーシュの泣き所はよく捕らえている。
「アールストレイム卿、ひとの寝顔を撮るなどと、聊か礼儀に失するのではないかね?」
 せめてそれくらい消せと言外に言い詰めれば、わずかに半眼にした赤い視線を向けられる。
「まだ、心配? 不安なの? この画像、スザクやジノに送らないか」
「信用はしよう。信頼はしないがね」
「そう……。じゃあ、お約束」
「なにを? これ以上、君も私も契約することはないはずだ。最低限以上の契約は、時に互いを縛る重石にしかならない」
 鎖でがんじがらめなど、と冷笑しかける寝台の上のルルーシュは、続く語に言葉を失った。
「まもる」
 短く、ゆえにわかりやすい言葉。
 わかり易過ぎて、返ってルルーシュを混乱に叩き込む。
「あ、………嗚呼、ナナリー皇女殿下を守るのは、君の仕事だ」
「違う。あなたも」
「………ッ!!」
「あなたも守る。るるーしゅも、ななりーも」
 それはおさない自分の、おさないおろかなねがいだった。
 今となっては、半ば無理やり思い出せた自分しか知らない、願い。
「……ッ! その名前を、どこで………!」
「そう……。あなたも、忘れてる」
「どういうことだ! アールストレイム卿!!」
 ルルーシュ。
 ルルーシュという名前だけならば、スザクから聞いて耳にしておくことは可能だろう。
 顔を知ったなら、どこかで写真を見せてこれは誰かと聞くだけで、叶うのだから。
 けれど、ナナリーまでも続けたなら話は別だ。
 ナナリーと、ルルーシュ。
 この二人に接点など、あるはずがない。
 ルルーシュ・ランペルージには、家族は弟一人。なによりもそのことは、スザクが一番よく知っているはず。
 筋肉馬鹿の単細胞とはいえ、易々と口を滑らせるはずもない。
 ならば、彼女がこの名前を出した意図は十に満たぬまで絞られる。
 最悪の展開として、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを知っている、ということだ。
「……私も、よくわからない」
「ふざけるな。なにを……」
「でも、まもる。ずっと前に、言ったの。思い出せたから」
 ふと笑う少女に、記憶のどこも刺激されない。
 だというのに、この申し訳無さは何だというのだろう。
 彼女に、ごめんと謝りたかった。
 ぐしゃぐしゃに泣いてしまいたかった。
 抱きしめたかった。
 いつか、ナナリーを守れなかった幼い頃のように。
「るるーしゅの周りには、たくさん守るひとがいるから。私もその一人になりたい」
 あなたをまもるの。
 もうずっとまえから、きめていたの。
 微笑む少女を、幻視する。
 まだ無条件で平和を信じていられた、花園の景色が鮮やかに目の前に広がっていた。




***
 記憶は完全ではありませんが、ルルを守るということだけは決めたアニャ。
 あと一話で終わる予定です。そして枢木さんのターン! ………は、来ませんよ?(笑




soiree




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