ガチガチと歯の根があわぬ音を立てながら、天子は混乱していた。
 この三時間にも満たぬ間に起こることが、多すぎる。
 結婚式、望まみ望まれぬ結婚ではない、ブリタニアへ差し出される我が身への苦悩。
 現れた星刻、六年も前の約束だった。忘れられたと思っていた。それが当然だと感じていた。忘れないでいてくれた、外の世界へ連れ出してくれると言った。
 突き付けられた銃口、ゼロ、はじめての友である神楽耶の夫というひと、ブリタニアの敵、けれど、中華連邦は敵ではなかったはずだ。
 そして、神楽耶。はじめての友達、はじめての対等な友達。今、目の前で困ったような申し訳ないような表情をしている、自分の友達。
「乱暴をして、申し訳ありませんでした」
 神楽耶に意識を集中させてしまっていたせいか、傍のゼロがかける声に息を呑む。
 ひっ、というおびえた声は、気分を害させてしまっただろうか。
 それで、殺されてしまうのだろうか。
 恐れたけれど、ゼロは仮面の奥でどんな表情をしたのか。わからない。
「申し訳ありません。我々は、あなたに危害を加えることはしない。………少しの間、ここで待っていてください」
 膝を落とし、天子の顔を正面から見つめようとするが怯えられればすぐに彼は場から去ろうとする。
 弱者の味方であるという、黒の騎士団。
 ならば自分は、弱者として扱われたのだろうか。
 そうかもしれない。自分が、傀儡であるという自覚はあった。
 大宦官達の、浅薄なところはそこだ。傀儡として意識させず、あたかも自らの意思でそうと振舞っているようにさせて置けばよかったのに。
 そうしたら、悩まなかったのに、苦しまなかったのに、悲しくなかったのに。
 彼らは、天子に自身が傀儡であることを―――お飾りにすぎないことを、自覚させていた。
「天子様」
「神楽耶」
 困ったような表情の彼女に、言葉が見つからない。
 自分だけが、友達だと思っていたの?
 あなたには、私は友達ではなかったの?
 はじめから、こうするために友達と言ってくれていたの?
 問いたい言葉は、たくさんあった。
 沢山ありすぎて、辛かった。
 疑う自分が嫌だ、けれど現実、自分は星刻と引き離されこの斑鳩にいる。
「わたくしは、謝れませんわ。けれど、申し訳ないことをした。言い訳出来ぬことをしている、その自覚はございますの」
 ひたと見据える、翠玉の瞳。
 翡翠みたい、と、無邪気に思ったことは記憶に新しい。
「もし、あの場でゼロ様があなたを浚わなければ。―――勝手なことをと仰られるかもしれませんが、中華連邦とブリタニアの本格的な戦争がはじまります」
「そんな! だって、そうしないための私でしょう?!」
「はい。戦争にならないための、人質です。しかし、政権の実質を担っていたのは大宦官達。黎星刻は、公の場で彼らを殺害しました。国際放送もされていますから、このクーデターは既にブリタニアの知るところでしょう」
「わたしだって、星刻と一緒に外の世界を見たいわ!」
「えぇ、その願い。わたくしにもよく覚えのある感情ですわ。出来るのなら、必ず天子様にはわたくしの生まれ育った故郷を見ていただきたいと思っております」
 けれど、今は無理だ。今は出来ない。
 それは、蓬莱島が本当の日本と呼べるだけの下地が出来ていないことと、もうひとつ。
「黎星刻。彼が行った、大宦官殺害とこのクーデター。それは、ブリタニアに中華連邦を攻め込ませる要因を作ってしまった」
「………わたしの勅令ひとつでは、どうにもならぬこと……?」
「あなたが聡明で、助かりますわ。―――えぇ、ブリタニアは、強盗の国。彼らは彼らの主張しか認めない。彼らの前では、国際法ですら意味を持ちません。彼らは彼らの正しさしか見ない、聞かない、理解しない」
 ブリタニア人よりブリタニア人らしい、枢木スザク。
 彼は、典型的なブリタニア精神の持ち主といえるだろう。
 ふと思って、そこで神楽耶は身震いした。
 あの男と、わずかでも血縁関係である我が身のなんと気色悪いこと。
「恐らく、あのままクーデターを続けさせていればブリタニアはこう主張することでしょう。『オデュッセウス殿下の后となられる御方を簒奪し、傀儡にして祭り上げようとしている中華連邦、およびその頂点黎星刻を殺せ』」
 言葉に息をのみ、蒼白の表情となる天子の手を、そっと神楽耶は取った。
 これはあくまでも、極めて可能性の高い話でしかない。
 もしかしたら、大宦官との不正関係を都合よく捻じ曲げながらブリタニア側も中華連邦の主張を受け入れるかもしれないという未来は残っている。
 だが、利益と今まで虐げられてきたという過去、そしてブリタニアという精神を天秤にかけて比べれば、前者のほうが圧倒的に可能性の話としても実現度が高いことは事実だ。
 都合の良い話しか、していない自覚が彼女にはあった。
 心中の錘を無理に蹴り飛ばして、真剣に友を見つめる。
 だまして、ごめんなさい。
 謝る声は言葉にすることが、出来ない。
 ここで転んだら、中華連邦とて共倒れだ。そうなったら、今度こそ天子は文字通り人質としていつ殺されるともしれない国に放り込まれることになる。
「黒の騎士団が、あなたを拉致した。これで、中華連邦はブリタニアと協力体制をとってでも、わたくし達と敵対するしかなくなりました」
 言外に、時間稼ぎが出来ることを告げる。
 ブリタニアを追い返し、天子が自らこそが中華連邦の主でありブリタニアに屈することはなく、ただ"協力関係も已む無し"という関係性を築けるのだと示すことが出来れば。
 否、そこまでいかずとも、この婚姻さえご破産になれば。
 中華連邦の勝利だ。
「でも、それじゃあ神楽耶が……!」
「だってわたくし、ゼロ様の妻ですもの」
 にこりと、笑ってみせる。
「あなたには、幸福になっていただきたいのです。天子さま」
 わたくしのお友達。
 きゅっと握り締めあう手は、お互いにまだ小さかった。
 その小さい手には、国が乗っている。
 国には、民が乗っている。
 民には、命があるのだ。
 ねぇ、ブリタニア。ご存知かしら?
 小さい友を抱きしめて、神楽耶は胸の中でつぶやく。
 命が、あるのですよ。私たちには。
 心が、あるのですよ。私たちには。
 ねぇ、ご存知かしら。ブリタニア。

 もうすぐ、激しい争いになる。



***
 天子さまと星刻が幸福になるなら、もう本当なんでもいいよ………!
 あと、スザクは本当に日本人じゃないよアイツは。もういいよブリタニア人で。日本帰って来るな。←


手のひらを太陽に




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