枢木スザクの生涯は、決して平穏なものではなかった。
 しかし、栄華と栄光と共にあったことは否定し難い事実であろう。
 彼の性格か、常に自己研鑽を続ける瞳はまっすぐ前を向いておりナンバーズを差別することを国是とするブリタニアでも彼を肯定的に捉える人々は少なくなかった。
 英雄。この一言が相応しいのだろう。
 裏にどんな言葉が潜められているにせよ、枢木スザクは騎士として英雄として働いた。
 もっとも、何も無い英雄など世の書物をいくら漁っても出て気はしないように不可思議なことはいくつもある。
 例えば、幼年期の徹底的な消去。
 日本人最後の首相、枢木ゲンブの息子であることを隠しはしていなかったものの、幼少期はいったいどのように育ったのか、どんな友人達と過ごしたのか。
 謎である。
 例えば、彼の主のこと。
 通称ブラックリベリオン。もしくは、血のユーフェミア事件とされる、首謀者のユーフェミア。
 日本人に特区という名の甘い餌を与えながら虐殺を命じた魔女を、彼は生涯の主として頂いていた。
 皇帝直下の騎士になろうと、胸にあるのはユーフェミアから与えられた騎士章であり誇りとしていたことはあまりに有名な話である。
 例えば、学生時代のこと。
 アッシュフォード学園時代、一番親しい友人の名前をあげるよう告げれば、「みんな良い人たちで」と返すことはあっても、誰とという問いには頑なに答えなかった。
 調査では学園の生徒会副会長と親しかったという声があげられている。しかし、枢木スザクは絶対にその人物に触れることはなかった。
 ブリタニアの英雄といえば、アーサー王やク・ホリンが名高いだろう。
 実際、ブリタニア正規軍で使われている第七世代KMFは円卓の騎士から名を貰う機体が多い。
 しかし、英雄は華やかな面の奥で凄惨な最期と壮絶な人生がある。
 枢木スザク。
 現代の英雄とされる彼に訪れる最期は、穏やかなものなのだろうか。
 それとも、時代の英雄たちと同様に悲惨なものなのだろうか。

 単音が、病室に響いている。
 夜は静かに横たわり、室内を固めても震わせることはない。
 静謐は優しく、薄く微笑んでいる。
 その空間を、揺り起こすように鍵が閉めてあるはずの窓が横に滑った。
 カーテンがやわらかく膨らみ、元に戻る頃にはひとつの影。
 床に降り立つ足音も無く、枕元へ訪れる気配もなく。ただ、影はすべらかに近づいていった。
 見下ろす瞳は、慰撫の光を抱いている。
 紫色は黄昏時よりも、なお明るい。
 文字通り白皙の美貌が見下ろすのは、精悍ではあるけれど老いた男性であった。
 ベッドヘッドのアルファベットを、細い指先がなぞる。
「―――君と出逢って」
「ん?」
 枯れ木などとはとても思えない、しっかりとした声があがった。
 応える声音は穏やかで、さらりと黒髪を揺らす。
「君と敵対して、君を売って、君を裏切って、君を憎んで、俺は生きてきた」
「―――」
 息をのむ音も無く、枕元に立ったまま青年は微笑んでいた。
「いつだったか、ロイドさんに言われた。"いつかゼロに感謝する日が来る" その時の俺は、莫迦にするなと笑ったよ。だって、君が」
 大切な彼女を奪った。
 大切な彼女を殺した君を、感謝なんて。
「むしろ、呪った。俺は、なんでか死ねなくて。………死にたかったのに、死ねなくて。死にたいのに生きなきゃいけないと無精に思った。そこに、俺の意思なんかなかったよな?」
「嗚呼。俺が、願った。―――命令形に、なってしまったが」
「死ねないなら、仕方ない。諦めながら出世したさ。ブリタニアを中から変革するために」
「無理だったけどな」
 苦笑を耳ざとく聞きつければ、彼の顔を視界に収めていないのにどんな表情か容易に想像がついた。
 うるさいよ。拗ねたような物言いは、彼らに懐かしさを思い出させるのに十分だった。
「生きてこれたよ。彼女がいなくても、俺の罪を知る者が俺ともう一人だけとなっても、君の呪いのような願いのせいであっても。―――生きて、これたよ」
 どこか遠くを見ていたベリルの瞳がゆっくり、傍らの彼を映した。
「君のおかげで、俺は生きられた。多分、この世の誰よりも、幸福に」
 憎んでいられた。
 自分は正しいと思っていられた。
 正当化する自分を、周囲は全て受け入れてくれた。
―――時代を破壊せんとする、ゼロがいたから。
 だから自分は、正しいものだと思っていられた。
 自分が正しくて、ゼロが悪だから。
 賞賛もなにもかも、全て自分は得られた。
 反面、ゼロはどこまでも薄汚いテロリストとして常に誹謗中傷を浴びていた。
 英雄という名が高まれば高まるほど、テロリストとしての名が高まれば高まるほど。
 彼は正しくて、ゼロが間違いだとされて。
 常に、認められていた。
「心に空ろを抱え続ける人生を、幸福とは言わないんじゃないか?」
「満たされていたから。君を憎むことで、俺は確かに満たされていたから」
 だから、幸福だった。
 この世の誰よりも、なによりも。
 きっと俺は―――。
「スザク」
 優しい声が、既に老いた男の名を呼ぶ。
 伸ばされた細い指に、皺だらけの無骨な武人の手が絡んだ。
「ありがとう。君が、俺に幸福を与え続けてくれていた。君が、俺に日の当たる道をくれた。君が、俺に世界の優しさ全てをくれていた」
 君に、俺はずっと愛されていた。
 愛されているのだと、自惚れていられた。
「ありがとう………。ルルーシュ」
 言葉に、ルルーシュは頭を振るう。否定を口にしようとしたけれど、結局口は閉ざされてしまう。
 握り返す指先に、力が僅かに灯った。
「我儘を言ってもいい?」
「……いいさ。お前の無茶は、慣れている」
「言うなぁ、ルルーシュも。あのね」
 耳を寄せてくれと、願う声が柔らかい。
 そっと口元に耳を寄せれば、髪がかかってくすぐったいと笑われた。
 他愛無いやりとりをしながら、耳を、寄せて。
きみに、あいしていると、いいたいんだ
 聞き届けたことなど、確認もしないまま。
 枢木スザクは逝った。
 


***
 私にしては物凄く珍しくかつ久しぶりに枢木さんに優しい話だと思います。(死にネタの時点で優しくねぇよ。
 最期まで我儘です、自分勝手です、独り善がりです。でも、一応全部反省はしていた模様です。


月で編んだ花束を君に贈る




ブラウザバックでお戻り下さい。