紅茶は冷めていく一方だろう。 人払いは完璧。 少年は、ティーカップしか置かれていないテーブルを無心に睨みつけていた。 それしか出来ないために。 対する男は、馨り高い紅茶を気に入るように眼を細め喜ぶ風情であった。 もっとも、この男はいつだって笑顔で。笑顔が崩れることはなくて。 どうしようもないくらい、胡散臭いのだけれど。 カップがティーソーサーに置かれた。 唐突に着た兄が口にしたのは、たった一言。 『ここまで来るのに、喉が乾いてしまったよ。お茶を入れてくれないかな?』 それだけだった。 義理とはいえ弟をあっさり使えるものだと思っているあたり、皇族らしい傲慢だと思うのは卑屈な証拠だろうか。 ルルーシュには、わからない。 「ごちそうさま。さて―――本題に入ろうか」 「やっとですか」 即座に切り返したのは、皮肉以外の何者でもない。 大人しい反応だとでも思っていたのか、薄い紫の瞳を瞬かせた義兄を見るともなしに見つめる。 皇族特有と誉れ高い、紫電の瞳。 権利を投げ捨て、子どもといえど生きてみせると反骨精神むき出しにしたルルーシュが現皇族の誰よりも濃い紫の瞳をもっているのは なんの皮肉だろうと思う。 「あまり、良くない噂を聞いたよ」 「そうですか」 「君が、市井に混じり博徒のような真似をしている、とね」 「そうですか」 「おまけに、相手は有力貴族たちだと言うじゃないか」 「そうですか」 「皇族としての気品が、疑われてしまうよ。ルルーシュ」 「シュナイゼル殿下」 「兄上、と呼んでくれなければ、返事をしてあげない。と言ったらどうするかな?」 「恐れながら、私は既に皇族の身ではありませんが」 「君が嫌がっても私と君の父は同じだ。義理の兄である事実に、変わりは無いのだよ。ルルーシュ」 「………では、シュナイゼル兄上」 「なんだい?」 にこりと微笑み、片肘をつく男。 優しい笑みを浮かべ、実際、皇帝に近いといわれる割りに男の手は真っ当なことが多い。 外道な真似を恥じ入ることのない父であるからこそ、異彩を放つ兄の手腕。 あまりに人として褒められるべきではない皇帝の様を知っているからこそ、人間的に真っ当なシュナイゼルの手腕に希望を見出し協力する者は少なくない。 それさえ手だといわれれば、もうなにも言えなくなってしまうだろうけれど。 「私が、賭け事で金銭を稼いでいるのは本当です」 「何故そんな真似を? アッシュフォード家を頼るのを嫌がるお前だろうが、調度品を売ったお金は潤沢にあるはずだろう」 「いつまでも、あると思うな親と金。という言葉が、日本という国にあるのをご存知ですか」 「初めて知ったよ。なるほど、覚えておくべき言葉だ。教えてやりたいよ」 「兄上の教養の一部になれたのであれば、日本の方も喜びましょう。それに、金銭はいくらあっても困るものではありません」 「だが、稼ぐ手段としてはあまり品がないのではないかな?」 「私は皇族としての権利を既に放棄しました。その時点で、市井の者と変わりません」 市井にだって、博徒はいるでしょう。 十ほどの子どもを雇うほど、ブリタニアという国はイカれていないでしょう。 だからです。 ルルーシュは淀みなく告げた。 実際、十歳前後の子どもを雇うほどブリタニアの経済は破綻しているわけではない。 むしろ、保護責任者を出せという話になるだろう。 「―――だがルルーシュ。それでも、賭けチェスなどという危ない真似を、させるわけには私はいかないと思うのだよ」 「ご心配痛み要ります。ですが兄上、私は自分の力で借金を返済し、ナナリーを守り、生活していくと決めました」 決意を翻させるなと、告げる瞳に強い光。 シュナイゼルは、背凭れに体重を預けた。 「では、代打ちというのはどうだろう。サロンに顔を出せるよう、取り計らうところまでは私が。後は、自力で顧客を捕まえなさい」 「あなたのほうが、お強いのに」 「付き合いの代わりに、お前に出て欲しいだけだ」 「―――姉様もそうですが、兄上も本当に僕を甘やかされる」 「この程度は、赦しておくれ。それともう一つ、お前に頼みがある。むしろ今日は、これを頼みに来たんだ」 「兄上が、僕に。ですか?」 「あぁ。ルルーシュ、事務仕事は得意だね? ひとに采配を振るうのも」 「兄上の足元にも及びませんが、身体を動かすことよりかは得意ではないかと自負しております」 「充分だ。私の抱える研究所の手伝いを、して欲しい。お前ならば、口は堅いし能力もある、皇族という変人の巣窟にいたから少しくらい変わった環境でも問題ないだろう」 「………大変失礼ながら、最後の一つが聞き捨てなりません」 「気にするほどではないよ。皇族よりも個性的な人間がいてね、有能だが奇人で困っている。事務処理やサポートも有能な者を入れたんだが、彼女には彼女の仕事があり 一人だけにつけておくには無駄すぎる」 「つまり、僕にサポートの一人として入れということですね」 「そう。お前の事情は知っているが、人間は興味などない男だから妙な好奇心から近寄ってくることもないよ」 言って、安心だろう? と小首を捻られる。 それは、確かにそうだった。 一番困るのは、同情的に好奇心的に近寄られることだ。 押し付けはいらないルルーシュにとって、迷惑以外の何者でもない。 「私の直属部署だから、給料も保証しよう。勿論、使えなければ切り捨てるよ。それは構わないね」 「仕事の斡旋までしていただくのは、非常に恐縮なのですが。ありがたく、引き受けさせていただきます」 「助かるよ。一週間ほど待っていなさい。IDカードと制服を作らなければならないからね。追って連絡させよう」 「わかりました。お待ちしております」 「嗚呼、それからルルーシュ」 「はい?」 「お茶を飲んだら、チェスをしようか。久しぶりに、相手をしておくれ」 「―――、よろこんで」 席を立つ少年は、そう言って笑った。 途端に、兄である男は確信する。 嗚呼、彼はやはり皇族の人間だと。この圧倒的な存在感。 それから、彼は少しだけ心配する。 人間に興味のない男だけれど。 身分にも地位にも興味のない、性別さえ概念としか捕らえない男だけれど。 自分の選択は、果たして間違いだったのではないかと。 一抹の不安が、ほんの少し。胸を過ぎる。 *** シュナイゼル兄様やっと登場。三話も伸びてしまいましたごめんなさいorz 優しくしようと思ったら、えらく饒舌になりました。 やっとお膳立てが整いました。長かった。 |