Fluctuat nec mergitur.




 彼女は思考する。
 もし私がただの少女だったら。
 きっと、こんな学校に縁なんてなかっただろう。
 彼女は思考する。
 もし日本が平和なままだったら。
 きっと、兄は死んでいなかっただろう。私も銃を手にとらなかっただろう。
 彼女は思考する。
 もし彼に会わなかったら。
 私は死んでいただろう。私達は死んでいただろう。
 悔し涙を流す暇もなく。畜生、と罵る暇もなく。
 彼女は思考する。
 夢も見ずに眠ったにしては、少し寝過ごしたようだった。
 保健室の先生に断れば、もう良いのか訪ねてこられる。
 彼女とて、その道のプロだ。
 カレン自身が本当は病弱でもなんでもないことに、気がついているのだろう。
 けれど、それでも一言も言わないあたりがありがたかった。
 そういう、放り出すようでいて任せてくれるこの学園が。この生活が。
 この日常が、彼女は好きだ。
 屋上は気持ちよかった。
 晴れ渡る空は美しかった。
 きっと、ゲットーではまた泣いているひとがいる。
 黒の騎士団を求める声も上がっているだろう。
 のうのうとしていて、良い時間ではないはずなのに。
 彼女は彼女の愛する日常に戻ることを、止められなかった。
 他の団員も、ゼロ―――ルルーシュも、それで良いと言った。
 日常を愛することの、どこが悪いと。
 守るべきものでは、ないかもしれないけれど。
 例えば、ブリタニア人の全てがナンバーズに否定的かといえばそうでもないのだ。
 スザクを平然と受け入れたミレイなどが、それに該当する。
 そういう、当たり前のことを忘れて。
 人種で見下げたりしなければ、良いのだと。
 彼は到って穏やかに告げた。
 開戦前の日本では、誰もがブリタニアを憎んでいたけれど。思い起こせば、別に彼女の兄は大して嫌ってはいなかった。
 ただ、やり方を嫌っていた。強引な手法を嫌がって、その後の政策を嫌っていた。
 けれど、ブリタニア人そのものを嫌っていたかといえばそうでもなかった。
 扇動されて嫌うのは、簡単だ。
 けれどそこには、自分の意志がなくなってしまう。なんとなくそう思っているだけでも、人間は恐ろしく残酷な真似が出来る。
 言えば、ゼロが浅く頷いた。
 まるで経験者のように、苦笑することも忘れなかった。
 属領になる前から、彼は日本にいたのだということを思い出す。相当な苦労が、ちらりと垣間見えた気がした。
「用事って?」
「―――来てくれるとは、思わなかった」
 強い風が、雲を流していく。
 フェンスに身体を預ければ、軋む音を立てた。
 制服姿を見て、嗚呼。と思う。
 また痩せた。細くなっている。大丈夫かしら、この人。
 そう思わずには、いられないくらい。
「ねぇ」
 話しかける声に少しの戸惑いも含まれていなかったとは、言わない。
「考えたの。私」
 一歩、二歩、三歩。近づいてきた彼は、背を向けているカレンとは対照的にフェンスの向こうの世界を眺めていた。
 露骨なまでに差別化された、醜く美しい線引き。
「私、なんであれ。あなたを守るわ。どっちのあなたも、守るわ。紅茶は私が入れてあげる。珈琲は苦手だから、上手くなるまで付き合って 貰うわよ。ケーキなんて作れないけど、ナナちゃんに聞いたわ。家事全般、得意なんですって? だったら、あなたが作ってきて。私、食べて みたい。生徒会室でのお茶は、それで良いでしょう。向こうでなにか食べるなら、それは全部私が用意する。出来る限り。C.C.にだって協力 してもらうんだから」
「あの女が、そう易々とひとの話を聞くと思っているのか?」
「全然。でも、聞いてもらうわ」
「それで?」
「そうね。戦闘は、絶対私が前に出る。私があなたを守る。ナイトメア戦は、主操縦はC.C.なんでしょう? だったら、いいわね。私の全部を 使って、あなたを守るわ。ねぇ、知ってた? ルルーシュくん。私、強いのよ?」
「―――知ってるさ」
「私、日本人だから。騎士って嫌いなのよね。でも、あなたの親衛隊隊長になれた時は本当に嬉しかった。誇らしかったの」
 あなたがどれほどのものを、抱えているのかも知らなかったけれど。
 でも嬉しかったの。
 あなたの傍に立つことを、赦されていたようで。
「あなたのそのステージの近くまで、いくわ。だから、待たないでいいから。絶対行くから。あなたは進んで。私は、必ずあなたに追いついて、 それであなたを守るから。―――紅月花蓮は、あなたを守るから。絶対に、あなたを害することなどないから」
「理解者ではなく、信奉者ではなく、共犯者ではなく、守護者だと?」
「そうよ」
「―――。参ったな。こういう展開は、予想の中でもかなり確率が低かったんだが」
「支えるだけなら、あなたは軽すぎるわ。もうちょっと体重増やしなさいな。筋トレのメニュー組んであげましょうか?」
「遠慮しておく。俺は頭脳プレイ担当だから」
 交わされるような冗談の言葉は、あまりにも穏やかだった。
 赤い髪の少女が、穏やかに微笑む。
「あなたは私が守るから」
「よろしく、カレン。―――俺を。ゼロであり、ルルーシュ・ランペルージである、俺を」
「えぇ。任せて頂戴」
 ゆるりと伸びた手を、自然ととる。
 その手はやはり、女のカレンのそれよりも細く、体温が低いのかひんやりとしていた。


 とうの昔に、賽は既に投げられていた。
 ならば、もう。
 何を恐れることもなく、立ち向かおう。
―――優しい願いの形が、その対岸で待っている。



***
 完結です。
 十日で完結するはずが、倍近くかかっていました……!
 すいません。
 死にネタにしてしまおうと迷っていたので、大分混乱させてしまい、申し訳ありませんでした。
 一応、番外とかもちょいちょい考えていますのでよろしければもう少々お付き合いくださいませ(苦笑





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