Quidquid id est, timeo Danaos et dona ferentis.




 カレンはゆっくりグリップを倒し、緊張感が抜けそうになる指先に神経をめぐらせた。
 もはや敵影はない。
 きちんと全部撒いたし、破壊した。
 ゼロの逃走経路は完璧だ。どうしたって、ゲットーでの地の利は此方にある。
 それだけが動かぬ真実で、唯一この場所で得ていられるものだった。
 それ以外は、ゼロが与えてくれたものにすぎないと。彼女は理解している。
 どれだけゼロ自身が"お前達が動いてこそ"と言ったところで、彼ならば一人でも時間と手間を惜しまないでいればブリタニアを打倒することが出来るはずだと 最早本能で分かっていた。
 この組織は、ゼロを中心に回っている。
 時に一人の命が地球全体の命よりも重く、感じるように。
 カレンにとって、正体不明でありながら主でもあるゼロはなによりも大切な人だった。
『はァいおつかれさま。いいわよぉ、降りて。戦闘データの吸出しやっときましょぉか?』
「いえ、自分でやります。その前に、ちょっと休憩入っても大丈夫ですか?」
『りょおかぁい。ゼロも今帰ってきたとこだから、二人で休憩してればァ?』
「ラクシャータさん!!」
 真っ赤になって言い返す。
 軽やかな笑顔で手を振り、褐色肌の科学者が映っていたモニタは暗くなった。
 黒の騎士団にいる幹部以上の者は全員、カレンのゼロに対する忠誠を知っている。
 大抵は微笑ましくみてくれるものだが、こうしてからかわれることも少なくなかった。ラクシャータなど、その筆頭である。
 けれど、言われて下でゼロを出迎えるのも悪くないと、カレンはパイロットスーツに団服をひっかけるだけにしてドックで待った。
 先日は、結局彼に会うことは出来なかったけれど。
 こうして連戦出来るくらいにまで回復したなら、話しかけるくらいは問題ないだろう。
 ここ数日は、とにかくブリタニアの軍事施設の破壊活動、未だ蔓延するリフレインの取引現場の取り押さえ、やりすぎの他レジスタンスグループとの会談、と、 活動にあけくれていた。
 対外交渉はディートハルトの役目であるが、どうしたって首領が必要な場面は出てくる。
 其の上キョウトとの会合も挟んで、白兜との戦闘もあり、まったくゼロはいつ休んでいるのかと思えるほどに精力的な数日間だった。
 何故なのか、問うことは出来ないし時間が足りないのは重々承知。
 ゆえに、休んでくださいともいえず少々悶々とした日々をカレンは送っていた。
 だがそれも、あと数日の辛抱のはず。
 ゼロの話では、これでひとまず一週間ほどの時間的余裕は稼げるとのことだった。
 それでも一週間だが、二週間近く作戦行動のために学校へ行けていなかった身としては嬉しい限りだ。
 また呼び出されるまで、学生をしていようかと考えていれば、矢張り先に下りてきたC.C.と目が合う。
 外すことも、まっすぐ見返すのも可笑しく、琥珀の瞳を思わず見つめてしまう。
 けれど気にする様子もなく、すぐに金色の視線は先に外され、C.C.は上部を見上げて先に部屋へ戻る旨を告げていた。
 くぐもった声が、それに応える。
 カツカツという硬質の音と、ゼロが降りてくるモーター音。それに、周囲をさざめかせている雑音が不思議と入り混じり耳に馴染んでいた。
「おかえりなさい、ゼロ」
「……嗚呼。連日、すまないな。カレン。体調は問題ないか?」
「はい! 任せてください。私、体力には自信がありますから!」
「それは頼もしい」
 苦笑じみた表情を浮かべている空気を感じ取り、カレンは嗚呼、と胸を一杯にさせた。
 この男の隣に立てる人間は、限られている。
 副団長の扇、戦略部隊の隊長である藤堂、後方支援の筆頭であるディートハルト、技術者として一流のラクシャータ。
 彼の共犯者という、C.C.。
 そして、自分。
 傍にいられるだけで、満足感と充足感で満ちていく。
 顔が自然と笑顔を向けるのは、仕方ないことだろう。
「私はゼロの親衛隊長ですから! お守りするためにも、体力は必要です!」
「私の周りは、頼もしい者ばかりだ………」
 言いかけて、ゼロの言葉が途切れる。
 仮面越しに聞こえたのは、小さな咳の音だった。
 手を被せようとしたのだろう。中途半端なところで、腕が止まっていた。
 最近どこかで聞いたような、妙な咳の音だ。
 思い出すのが嫌で、ただ心配だけはしたくて。
 視線を、彼へと向けた。
「あの、ゼロ? 風邪、ですか?」
「―――嗚呼。少し、体調を崩したか。こんなことでは、いけないな。自己管理もなっていないようでは、首領が聞いて呆れる」
「そんな!」
 人間なんだから、風邪くらい! 言い募ろうとしたカレンであったが、先程自分の体力があることを明言してしまっている。
 ここでフォローをするのは、逆に酷かと感じ取り言葉を濁してしまった。
 それがわかったのだろう。
 ゼロは、苦笑を浮かべるだけに留めた。其の間にも、小さく押し殺された咳が耳に届く。
「あの、部屋までお送りします」
「このくらい。なんともない」
「なにかあってからじゃ、遅いですから! ラクシャータを呼びますか?」
「いや。部屋へは一人で行ける。君も、休んでいろ」
「あなたを部屋に送ったら、すぐに失礼しますから」
「………頑固だな。日本人はみんなそうだったか?」
「個人の資質によるものだと思いますが?」
 呆れ声に、なんとか笑顔で対応すれば了承が得られた。
 それで、満足すべきだろう。
 マントを打ち鳴らし歩くゼロの数歩後ろを、着いて歩いた。
 部屋までの道といっても、たいした長さは無い。
 だが、それでも気付くことはあった。
 細い。足元が覚束無い、ふとした瞬間に、壁に手をついて自分を支えている。
 本格的に、具合が悪そうだというのは背後から見つめていれば充分にわかった。
「ゼロ、大丈夫ですか……」
「心配性だな。問題ない。少し、ここ数日忙しかったからな。疲れているんだろう」
 まるで他人事のように自分のことを話す口調で、それが本心かどうかを見分ける術は今のカレンにはない。
 C.C.ならば可能だろうか。
 下らないと思いつつ、悩む縁に爪先を浸したところで、もう目の前がゼロとC.C.の私室だった。
 ここから先は、カレンに入って良い領域ではない。
 一礼をし、下がろうとする。
 ゼロも、短くここまで送ってくれたことに対する謝辞を述べた。
 もう一度一礼をし、踵を返して。
 数歩もいかないうちに、重くなにかが崩れる音を聞いた。
―――え?
 今の音をもう一度。ゆっくりと振り返れば、そこに。
 つい先程まで、なんとか保っていたゼロが倒れている。
「―――!!」
 上げそうになった悲鳴を飲み込み、ドアを叩く。
 C.C.がどこにも寄らず部屋へ戻っているなら、幸いここはゼロの私室のまん前。
 気付いて、あけてくれるはずだ。
 仮面を取って、呼吸の安定をみたい。
 胸の上下だけでは、あまりにもゆるくて不安が残る。
 倒れているゼロを抱き上げ、声をかけた。
「ゼロ! 大丈夫ですか、ゼロ!! C.C.! 開けて!! ゼロが!!」
 C.C.! 二度目の呼びかけに、鬱陶しそうにしながらエア・ロックが外される。
 意識の抜けた身体というのは、カレンの腕にも若干重かったが耐えられぬほどではない。
 何事か問われる前に、担ぎ上げたゼロをベッドへ下ろす。
 だが、出来ることはそれまでだ。
 正体を暴こうとしないという誓いは、彼女のなかでとても神聖なもので。
 犯すことは出来ない。
「C.C.、ゼロの容態をみてあげて。脈と、あと呼吸を確認して。私、部屋の外で待ってるから」
 ラクシャータが必要なら、すぐに呼んで来るから。
 葛藤を全て押しのけて、離れがたい主の傍から離れようとする花の少女を。
 魔女が、到って平然とした声で呼び止めた。
「待て。私は、呼吸の確認のとりかたなど知らない。お前がやれば良いだろう」
 言いながら、ベッドに乗り上げマントを外し、仮面に手をかける。
 半瞬、遅れて気付いたカレンが、悲鳴をあげた。
「やめて!!」
 勝手に、そんな真似を。
 しないで。
 言おうとした彼女の息さえ、止まりそうだった。
 横になっているために外し辛そうだったけれど、仮面自体はそう困ることなく外された。
 そうして。
 露になった、顔を。
「―――!!」
 見ないように眼を伏せて、きつく瞑って、カレンは部屋を飛び出した。
 見ていない見ていない見ていない見ていない。
 心の中で、何度も繰り返す。
 私は見てない、見ていない見ていない見ていないったら!!
 あそこにいるのは、幻だった。
 幻でなければいけないひとが、そこにいた。
 幻でないのなら、どうして!!





 どうしてあなたがいるのよ、るるーしゅくん。




 答えを引き返して得る気力など、今のカレンに残されているはずも無かった。



***
 遅くてすいませんすいません。
 というわけでバレましたー。ルルが死ぬところまではいきませんー。
 相変わらず怒涛の急展開で申し訳ありませんー。
 謝るしかない奴で本当にごめんなさいorz





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