金糸雀スイッチ




 本国に連れ戻されたルルーシュは、一度として言葉を発することはなかった。
 ナナリーに微笑み、優しく手を握り、必要とあれば抱きしめ。
 けれど、一度としてその凛とした声音を発することはなくなった。
 最初にいぶかしんだのは、コーネリアである。
 彼女は、他の皇子や皇女たちよりも幾分彼ら兄妹に好意的だった。
 それは、二人の母を憧れていたからかもしれないし、もしくは彼女の溺愛する妹が二人に好意的だからかもしれないし、両方かもしれない。
 なにはともあれ、二人に好意的だった彼女は、いくらなんでも話さないことに不信感を募らせた。
 本国に連れ戻したのは、宰相である義兄、シュナイゼルである。
 彼の政治手腕は、コーネリアとて良く知っている。
 それを思えば、彼らを連れ戻したのもなにか意図してのことだろうと簡単に予想がついた。
 けれど解せない。
 一言も話さず、押し黙る皇子に、はじめに不審と不安を抱いた。
 その次は、ユーフェミアだった。
 しばらくは逢うことを禁止されていた彼女だったが、本国に戻れば勉強とパーティーしか彼女はすることがほとんどない。
 長く本国、ひいては皇族の義務から離されていたという理由で、ルルーシュ達には勉学や貴族への挨拶回りを余儀なくされていた。
 ひと段落つき、頼み込んでようやっと逢わせて貰った時、ユーフェミアは嬉しさのあまり興奮してずっと話していた。
 ルルーシュも、ナナリーも、自分から積極的に話を振る性格ではない。
 故にか、気付くのが遅れてしまった。
 そういえば、ルルーシュは一言も話さぬまま、ただ、微笑んでいただけだったと。
 さらにその次、気付いたのは、ユーフェミアの筆頭騎士でもあるスザクだった。
 皇族同士の歓談に、騎士といえど無粋な剣を持った人間が在室していて良いわけではない。
 基本的に、スザクは隣室の待機室ともとれる部屋で彼らの会話が終わるのを待っていた。
 違和感に気付いたのは、ユーフェミアの声と時折ナナリーの同意以外の声しか聞こえないと気付いたからだ。
 けれど、時間になって主を呼びに行く際は、必ずルルーシュも在室している。
 おかしいな? 違和感は、回数を重ねるごとに、積み重なっていった。
 ナナリーは、兄の異常に気付いていた。
 彼も、誤魔化しきれるなどと欠片も思っていないのだろう。
 ゆっくり、手の平に一文字ずつ書いて、時間をかけて、彼の現状を説明してくれた。
 しかし理由は教えてくれなかった。
 何度尋ねても、手を頬に当てて、「答えられない」という意志を示すように、首を横に振られたのが皮膚を通して伝わってくる。
 やがて彼女は、事情を問うのをやめた。
 どんなことになろうと、兄は兄だ。
 彼が、光も自由に走る足も失くした自分を妹として大事にしてくれたように。
 自分もそうして、兄の支えになれば良い。
 気付いたから、ナナリーはもうなにも言わなくなった。
 時折、少しだけ、優しく名前を呼ばれる夢を見たけれど。
 彼女は、兄にその夢を告げることはなかった。

 ノックが短く、二度。
 音に顔を上げて、入室の許可を出す。
 直ぐに入ってくる人物には心当たりがありすぎたが、かかる声もなく入ってくる人間は一人しかいなかった。
 ペンを脇に置いて、机に肘をつき皇族特有の空っぽの笑みを浮かべる。
「やぁ、ルルーシュ」
 なんの用事かな? 笑って促せば、書類をいくつか提示された。
 必要最低限の会話さえ無用なほど、簡素に、けれどまとめられた書類は、先日彼へ頼んだ仕事の一部だ。
 ざっと眼を通し、鷹揚に頷いてみせる。
「うん、これで進めてくれてかまわない。苦労をかけるね」
 労うような言葉に、ルルーシュは快も不快もないような能面のまま首を横へ振り否定を示した。
 一礼し、出て行こうとする彼を引き止める。
「声が出せないのは、不便かい?」
「………」
「強情をはらなければ、そんなことにはならなかったのに」
「………」
「ただ私が、一緒に帰ろう、と言った時に、素直に"はい"と言っていたなら、そんなことにはならなかったのに」
「………」
「かわいそうに、ルルーシュ」
 同情の言葉だ。
 けれど同時に、侮蔑も滲ませているようで。
 ルルーシュは冷ややかに、睨みつけた。それが、彼の矜持の高さをなにより表しているようで。
 シュナイゼルは、微笑み続ける。
「またそんな風に、嫌な顔をする。反抗期は、終わらないのかな?」
「………」
 口唇を割ることさえ無い相手に、背もたれへ体重を預けるように寄りかかる。
 軋む音さえ立てず、椅子はしっかりと主受け止めた。
「その喉だけではなく、瞳も取ってしまわなければ、わからないかな。ルルーシュ」
 視線さえ渡さぬまま、思いつくような簡単な物言いだ。
 けれどその調子のまま、ルルーシュはこの兄に声帯を奪われた。
 同じ態度を取り続けるというなら、瞳さえ奪う。
 暗に告げられる言葉に奥歯を噛み締めれば、歯軋りの音さえ聞こえそうだ。
「ルルーシュ」
 求める言葉さえ発さずにいる相手へ、丁寧な一礼を返した。
 屈辱で目の前が赤く染まるが、今はそんな激情に委ねる愚策を犯すわけにはいかない。
「うん、そうだね。今はそれで、赦してあげよう」
 今度は心から、お前の敬意を知りたいな。
 いっそ爽やかなままの笑顔でもってシュナイゼルは、退室を赦した。
 もう一度礼をし、ルルーシュが室内から出て行く。
 無音の少年が、いつか発した明確な否定。
 誰もいらない、妹と、僅かな世界で、慎ましく生きていく。
 だからあなたはいらない、兄上。いらない。
 否定の言葉が腹立たしくて、声帯を取り上げた。
 ルルーシュが黒いハイネックを着ているのは、彼の趣味のほかに現在はその手術痕が残っているのを衆目に晒さないためだ。
 否定の言葉は、彼からは消えた。
 けれどまだ、自分を否定する瞳が残っている。
「嗚呼、どうしようかな。本当に―――」
 あの瞳を奪ったら、彼は今度こそ膝を屈するだろうか。
 それを見てみたくなって、残酷な遊戯を思いつくよりも容易い想像に、シュナイゼルはしばし耽った。


***
 天禁のライラが大好きでした(関係ない。
 シュナイゼル兄様がつかめません。早く出てきて兄様……。
 この時期は、こういうノリが書きやすいなぁ。(お前





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